武将な史跡巡り | 富士見石!織田信長、富士浅間大社で富士山を眺める! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

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甲州からの帰陣の際、富士山浅間大社に滞在した織田信長が腰掛け、富士山を見たと伝わる富士見石の紹介です。
織田信長人生最後の観光旅行~信長初めて富士山を見るともリンクしていますのでよろしくお願いします。

史跡名 ゆかりの武将 住所
富士見石 織田信長 静岡県富士宮市宮町

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富士見石は富士宮市立中央図書館そばにあります。

くるまr駐車場があります。


織田信長、威風堂々の凱旋旅行
織田信長は武田勝頼を滅ぼすと、息子・信忠を諏訪に残し、先に帰国の途につきます。
武田領への侵攻ルートは、安土→岐阜→岩村→飯田→高遠→諏訪と岐阜県から長野県へと入るルートでしたが、
帰りは、甲府から南下し中道往還を通り→富士川を渡って東海道を西上するというルートを選んでいます。

織田信長、富士山本宮浅間大社に宿す
織田信長は四月十二日、富士山本宮浅間大社に宿しています。
宿所の設営は徳川家康です。
以下、「信長公記」に記された織田信長の様子です。

 

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「信長公記」

四月十二日、
昔の源頼朝の狩りの館跡上井手の丸山がある。
西の山には白糸の滝という名所もある。
この辺りのことを詳しく尋ね、浮島ヶ原ではしばらく乗馬を楽しみ、富士浅間大社へ戻った。

このたび、北条氏政は共同作戦として出陣し、興国寺に陣を張り、富士浅間大社の社殿をはじめとして本栖一帯に火を放った。
家康は、富士浅間大社は要害の地にあるので、境内に陣所を建てた。
一夜の陣所とはいえ、金銀を散りばめた美しい建物を建て、周辺に将兵のための小屋を建て、十分にもてなした。
信長は、吉光作の脇差、一文字作の長刀、黒ぶちの馬を家康に贈った。
どれも信長秘蔵のものであった。


~以上が「信長公記」に記された織田信長が富士浅間大社に滞在する様子です。
その際に、織田信長は傍らの石に腰掛け富士山を眺めたと伝わります。
それが今回紹介する富士見石です。

 

 

富士見石。

 

 

説明版。

 

 

信長の気分になって座ってみました音譜

 

 

富士見石から富士山方向を見る。今は図書館が邪魔して見えません。

 

 

図書館駐車場からの富士山。

 

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