武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」史跡めぐりの旅
は少しお休みです。
戦国覇王とは?
デルプラドから発売されていた武将のフィギュアです。
しかし、デルプラドは倒産してしまい、武将ラインナップは残念ながら途中で終わってしまった形です。
それでも全部揃えると75人になります。
発売元が倒産してしまったため、現在フィギュアを買うことが出来ません。
いま手に入れるにはオークションやリサイクルショップなどで探すしかないですかね。
僕は発売当時は第1号の前田利家を買ったのみでしたが、その後になってせっせとヤフオクで手に入れました。
ヤフオクで全部揃えたのですが、飾る場所がなく、今まで待機しててもらいました。
この度、棚を作ってやっと飾る事が出来たので1人ずつ紹介しますね。
マニアックすぎるのか、ネットでもあまり紹介されていないみたいですし…
このフィギュア、ダイキャスト製です。
樹脂じゃないので、槍や刀が変形したり、ベタベタすることもありません。
このチョイスはなかなかグーですが、その分お値段が…
でも現在は割とお手軽価格で取引されてます。
大きさは立像で8~9、坐像で6~7cmといったところでしょうか。
兜の形、槍の有無によっても異なりますが。
No.53 柴田勝家
デルプラド 武将フィギュア 戦国覇王 No.53は柴田勝家です。
柴田勝家は織田信長の家臣ナンバー1の実力者で、敵からは‘鬼柴田’と恐れられました。
信長のもと各地を転戦したのち、北陸方面の攻略を任され、越前北ノ庄城を居としました。
しかし、本能寺の変により勝家の人生は激変。
織田家の後継者争いでは信長の三男・織田信孝(のぶたか)を擁し織田家の掌握を狙いますが、信長の孫・三法師を推し謀反人・明智光秀を討ち果たした羽柴秀吉に実権を握られてしまいます。
その後、勝家は滝川一益(たきがわかずます)、織田信孝ら織田家の旧臣と手を結み秀吉に対抗しますが、1583年、賤ヶ岳の戦いで秀吉軍に敗れ、北ノ庄城にてお市とともに自害して果てました。
柴田勝家の墓はこちら。
裏面には生没年が書かれています。
前から。
横から。
後ろから。
アップ。無骨な感じがいいですね。
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