武将の墓 | 武田勝頼の墓-3 - 大泉寺!武田三代を祀る甲斐の古刹 | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)


「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、
武田勝頼、信勝、夫人の墓の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」史跡めぐりの旅
ともリンクしていますので、よろしくお願いします。
 

人物名 墓のある施設 住所
武田勝頼 大泉寺 山梨県甲府市古府中町5015

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武田勝頼の墓は大泉寺にあります。
発見難易度★★☆☆☆
御霊殿の裏側にあります。

くるまr駐車場があります。

 

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勝頼、織田の正規兵の前に散る
武田勝頼・信勝父子は田野の地において、織田の正規兵を相手に家臣とともに獅子奮迅の働きをします。
その活躍ぶりは少数ながらも、「武田の兵47人を以て、5000の織田の兵を、四度突き崩し、討ち捨てた敵は都合380余人、手負いは500人におよばせた。」というものでしたが、多勢に無勢、ついにはみなが戦場の露と消え、武田家は滅亡します。
詳しくは以前のブログ で。


武田三代の墓がある大泉寺
大泉寺は大永元年(1521年)、武田信虎が開基、天桂禅長を開山として開創されました。
寺には武田信虎、信玄、勝頼の三代の墓や逍遥軒信綱が描いた武田信虎(国重文)があります。
一気に武田三代のお墓が拝めるなんてありがたいですね(ˆ◡ˆ)


御霊殿の裏側にある武田三代の墓
武田三代の墓は御霊殿の裏側にあります。
御霊殿(内部は非公開)には窓があり、窓を開けるとお墓が望めるようになっているようです。
ですので、お墓の正面は御霊殿側で、裏に周って見えるお墓は後ろ側になります。

 

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山門。柳沢吉保の菩提寺・永慶寺から移築されました。


 

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鐘楼。


 

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本堂。


 

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屋根に光る武田菱。


 

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ここにも武田菱が。


 

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御霊殿の門。普段は施錠されてます。お願いして開けていただきました。


 

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御霊殿。


 

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御霊殿内にはこの3体の木造が安置されています。御霊殿内の画像を撮影。左から勝頼、信虎、信玄。


 

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武田三代の墓。後ろから。左から信玄、信虎、勝頼。


 

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斜め前から。手前が勝頼の墓。




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