「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」 武将な寺社街道めぐり
楯無の鎧の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」の史跡めぐりの旅
ともリンクしていますので、よろしくお願いします。
史跡名 | ゆかりの武将 | 住所 |
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楯無の鎧 | 武田信勝、武田勝頼、新羅三郎義光、徳川家康 | 山梨県甲州市塩山上於曾1054 |
非公開。
駐車場はありません。
武田信勝、武田家家宝の楯無の鎧を着て家督を相続す
織田軍との戦闘が始まる前(と思われますが)、武田信勝は擐甲の礼を行いました。
信勝は擐甲の礼が終わって始めて武田家の家督を継ぐことができました。
武田信玄の遺言では、家督は信勝が元服した後に信勝に継がせる事とし、それまでの間は勝頼が武田家を治めることとなっていました。
勝頼としては、最期に子の信勝に家督を譲り、武田家の当主として死に花を咲かせてやりたかったのでしょう。
信勝は武田家の祖・新羅三郎義光以来武田家に家宝として伝わる楯無の鎧を着、御旗を掲げ擐甲の礼を行いました。
大河ドラマに出てきた「御旗楯無御照覧あれ」ってやつですね。
武田家ではこの家宝に向かって誓ったことは絶対とされてきたようです。
武田勝頼、武田家家宝の楯無の鎧を家臣に託し密かに運ばせる
擐甲の礼が終わると、勝頼は家臣に命じ、楯無の鎧を武田家ゆかりの向嶽寺に密かに運ばせました。
鎧は、地中に埋め隠されましたが、武田家滅亡後、甲斐を領した徳川家康により回収され、菅田天神社に奉納されました。
社宝は、門外不出で公開もなし
楯無の鎧は一般に公開されることはなく、新羅宮に保管されています。
レプリカは、山梨県立博物館や武田神社宝物館、雲峰寺宝物殿などに展示されています。
雲峰寺宝物殿のものは1/2サイズです。
楯無の鎧の写真はやまなし観光推進機構のHP や山梨県甲州市役所のHP をご覧ください。
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