城めぐり | 師戸城 - 上杉謙信の猛攻に耐えるも、豊臣秀吉には勝てずに落城 | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)
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お城めぐりの旅、師戸城の紹介です。

城名(別名)住所関連する人物
師戸城千葉県印西市師戸師戸四郎、臼井氏、千葉氏、上杉謙信、豊臣秀吉
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師戸城跡は現在、印旛沼公園となっています。
くるまr駐車場があります。

もう9月になりましたね。
夏が好きな僕としては悲しい限り(T_T)

夏といえばカブトムシですよねカブトムシ
今日はカブトムシを探して公園に行ったら、そこが城だったというお話。
普通、〇〇城跡って案内あったりしませんかはてなマーク
何の案内もなく、公園に入ったら縄張図があったんですよ。
地図にも城の表記は無し。
ただ印旛沼公園って書いてあっただけ。

結局、ここでカブトムシは獲れませんでしたけど、この師戸城、なかなかの城でした。
実は、上杉謙信の猛攻にも耐え抜いた城だったんです。
し、知らなかった…汗

城主は臼井四天王の一人・師戸四郎か?
師戸城(もろとじょう)は、千葉氏の一族の臼井氏の居城・臼井城の支城として14世紀に築かれました。
その後何度か改築され現在残る縄張りとなったようです。

城主はよく分かってないそうですが、江戸初期の書「臼井家由来抜書」に記された臼井四天王の一人、師戸四郎が関係していると考えられているそうです。

城の周りは現在は埋め立てられていますが、往時は印旛沼に面していたと思われます。
本城の臼井城は印旛沼の対岸にあり、かつては「渡」で連絡されていたのだそう。


上杉謙信の猛攻に耐えるも、豊臣秀吉には勝てずに落城
永禄9年(1566年)の上杉謙信の臼井城攻めの際は、臼井城とよく連携し猛攻を凌いだといいます。
しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の関東征伐の際に臼井城とともに落城し、その役割を終えました。


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縄張り図。
記号 a~e は以降の画像の場所です。



muroto02
空堀 a



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三の丸。周囲を土塁が巡ります。



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三の丸の土塁。
b の位置。



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中堀 c の位置。なかなかカッコいいにやりにやり



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d の位置。小堀。
土橋が残ります。
二の丸から本丸を見ています。



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e の場所から見た虎口。
三の丸側から外側を見ています。
虎口の外には土塁があります。



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師戸城遠望。
かつては印旛沼に面していたと思われます。



muroto09
そして、カブトムシ君たちラブラブ

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