お城めぐりの旅、師戸城の紹介です。
城名(別名) | 住所 | 関連する人物 |
---|---|---|
師戸城 | 千葉県印西市師戸 | 師戸四郎、臼井氏、千葉氏、上杉謙信、豊臣秀吉 |
誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(_ _ )m
スマホで地図が表示されない場合、一度前の記事に戻ってもらい再度次の記事を読み込みすると表示されるようです。
師戸城跡は現在、印旛沼公園となっています。
駐車場があります。
![くるまr](https://emoji.ameba.jp/img/user/na/namida-egao/88449.gif)
もう9月になりましたね。
夏が好きな僕としては悲しい限り(T_T)
夏といえばカブトムシですよね
![カブトムシ](https://emoji.ameba.jp/img/user/he/hebi-wagon/145525.gif)
今日はカブトムシを探して公園に行ったら、そこが城だったというお話。
普通、〇〇城跡って案内あったりしませんか
![はてなマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/040.gif)
何の案内もなく、公園に入ったら縄張図があったんですよ。
地図にも城の表記は無し。
ただ印旛沼公園って書いてあっただけ。
結局、ここでカブトムシは獲れませんでしたけど、この師戸城、なかなかの城でした。
実は、上杉謙信の猛攻にも耐え抜いた城だったんです。
し、知らなかった…
![汗](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
城主は臼井四天王の一人・師戸四郎か?
師戸城(もろとじょう)は、千葉氏の一族の臼井氏の居城・臼井城の支城として14世紀に築かれました。
その後何度か改築され現在残る縄張りとなったようです。
城主はよく分かってないそうですが、江戸初期の書「臼井家由来抜書」に記された臼井四天王の一人、師戸四郎が関係していると考えられているそうです。
城の周りは現在は埋め立てられていますが、往時は印旛沼に面していたと思われます。
本城の臼井城は印旛沼の対岸にあり、かつては「渡」で連絡されていたのだそう。
上杉謙信の猛攻に耐えるも、豊臣秀吉には勝てずに落城
永禄9年(1566年)の上杉謙信の臼井城攻めの際は、臼井城とよく連携し猛攻を凌いだといいます。
しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の関東征伐の際に臼井城とともに落城し、その役割を終えました。
縄張り図。
記号 a~e は以降の画像の場所です。
記号 a~e は以降の画像の場所です。
空堀 a 。
三の丸。周囲を土塁が巡ります。
三の丸の土塁。
b の位置。
b の位置。
中堀 c の位置。なかなかカッコいい![にやり](https://emoji.ameba.jp/img/user/to/torp/340281.gif)
![にやり](https://emoji.ameba.jp/img/user/yu/yumikoronn/2106114.gif)
![にやり](https://emoji.ameba.jp/img/user/to/torp/340281.gif)
![にやり](https://emoji.ameba.jp/img/user/yu/yumikoronn/2106114.gif)
d の位置。小堀。
土橋が残ります。
二の丸から本丸を見ています。
土橋が残ります。
二の丸から本丸を見ています。
e の場所から見た虎口。
三の丸側から外側を見ています。
虎口の外には土塁があります。
三の丸側から外側を見ています。
虎口の外には土塁があります。
師戸城遠望。
かつては印旛沼に面していたと思われます。
かつては印旛沼に面していたと思われます。
そして、カブトムシ君たち![ラブラブ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif)
![ラブラブ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif)
お城めぐりTOPへ戻る
ブログランキングへ参加中です。ご協力お願いしますm(_ _ )m
パクリはやめましょう!このブログの記事や画像の無断使用、転載は絶対やめてくださいね。まとめサイトとかもダメです!NEVERなんて論外です!この記事作るのにいろんな史料を調べたり、現地に行って写真撮ったり、時間・お金がたくさんかかってます!ズルしちゃだめですよ。© 2010-2018 siro-sengoku-bushou.