武将の墓めぐり、鳥居強右衛門(歴代)の墓の紹介です。
人物名 | 墓のある施設 | 住所 |
---|---|---|
鳥居強右衛門 | 桃林寺 | 埼玉県行田市城西3-6-1 |
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鳥居強右衛門(歴代)の墓は桃林寺の一角にあります。
発見難易度★★☆☆☆
下画像をもとに境内を探して下さい。
駐車場があります。
発見難易度★★☆☆☆
下画像をもとに境内を探して下さい。
駐車場があります。
鳥居強右衛門は徳川家康の陪臣で奥平氏に仕えた武将です。
長篠の戦いの際に磔にされながらも援軍が来ていることを長篠城主・奥平貞昌に大音声で伝え殺害されました。
その雄姿は落合左平次の旗指物にされたほどで、後々までの語り草となりました。
鳥居強右衛門の子孫の墓は埼玉県行田市に
今回のお墓は鳥居強右衛門の子孫のお墓の紹介です。
鳥居強右衛門の子孫は代々奥平氏に仕え、家老職も務めています。
鳥居家は誉れ高い「強右衛門」を代々名乗りました。
主家・奥平氏は徳川家の姻戚となり松平姓を許されて栄進し、幕末には行田に移封しています。
鳥居強右衛門の子孫も付き従って行田に移り、桃林寺を菩提寺としました。
歴代鳥居強右衛門の墓
家紋入ってます。
鳥居を形どった家紋。
墓の側面には強右衛門の文字が
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