武将の銅像 | 大内義興の銅像 - 7ヶ国の大大名!馬が必死な銅像 | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)
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武将の銅像めぐり、大内義興の銅像です。

人物名銅像設置場所住所
大内義興龍福寺山口県山口市大殿大路
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大内義興の銅像は、大内氏の館跡に建つ龍福寺にあります。
※大内氏館がキレイに整備されたので、もしかしたら場所が変わったかもしれません。ご了承ください。
くるまr駐車場があります。

龍福寺の建つ地は、二十四代当主・大内弘世が館を築いてから、代々大内氏の居館でした。
室町幕府の管領代を務めるなど、隆盛を極めた大内氏でしたが、天文二十年(1551年)、重臣・陶晴堅の謀反により血筋は絶たれます。
その後、宿敵・大友氏の子・義長を次代当主としますが、毛利氏の侵攻により義長も自刃。大内氏の滅亡とともに居館も灰燼に帰します。
その館跡に弘治3年(1557年)毛利隆元が大内義隆の菩提寺として龍福寺を建立しました。

三十代当主・大内義興(おおうち よしおき)
大内義興は、室町幕府の管領代にして周防・長門・石見・安芸・筑前・豊前・山城の7ヶ国を治める大大名でした。
娘を足利家に嫁がせ将軍家の親族になったばかりか、大友宗麟の舅でもありました。

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大内義興の銅像全景。

正確にいうと、これは銅像じゃなくて真鍮像?ですかね。



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別角度から。
颯爽と走る馬。
躍動感のある銅像です。



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アップ。
馬は必死の形相ですが、さすが七ヶ国の守護職となった大大名ビックリマーク余裕の表情です。
…これは色からすると、銅像ではなく真鍮像というのが正確でしょうかね。

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