何かの話の拍子で、筒が面白いことを言い出しました。なんでもお城があるのに市の名前にお城の名前が付いていなのは、長野くらいなものだとか。いやいやいや父、松代城と言い出したのは平成の中頃に復元改修した後だから。それまではずーっと海津城っていてたし。まぁ確かに、松代藩とは言っていたようだけれどねぇ。
 最近でこそ少しづつ道も広げてく車での行き来がしやすくなってきましたが、町に入る道が少なくて、街中は入り組んでいて、江戸時代松代藩10万石の城下町って感じです。
 

 そんな街中のある松代郵便局。入り口には六文銭があるんですねぇ。
 改修工事がされる前の海津城址は、苔むした石垣で囲まれていて、その中には桜の木が鬱蒼とはえていました。遠くから見ると、ピンクの山のようになっていたような気が。それが松代城址公園とするときに桜の木はだいぶ間引かれてしまったようです。昔の桜の名所と言われていた当時を知っている人からは、松代城に桜を見に行ってもなぁ、木が少なくなっちゃたしなぁ。という言葉をよく聞きます。
 でも年に1回は見に行きたいんだよぉ。って言っても半分も咲いていなかったけど。
 

 ピントあってませんけど、尼飾山です。川中島の戦いのころには、海津城の後詰めの山城として整備されていたようです。観光客の皆さんは、反対に見える白い後立山連峰とか、北に見える戸隠連峰とかそっちの方に気が向くよねぇ。
 

 こっちも観光客の皆さん方に素通りされていたもの。松代城址何がいいって、武田流の三日月馬出しを復元してるとこでしょう。案内板もありゃしない。
 なんて一人で憤慨しながら帰ってきたのでした。