大河ドラマで注目の武田信玄。その武田信玄に勝ったことのある武将、村上義清。まぁ結果的には、真田幸綱に親戚を調略されて上杉氏を頼って糸魚川で亡くなるんですけどねぇ。前々から村上氏ゆかりの葛尾城はいってみたいとは思っていたのです。
 下調べは、中嶋豊氏著『いざ!登る信濃の山城』信濃毎日新聞社
 私が中嶋氏を知ったのは20年以上前のこと。長野県警山岳救助隊所属の方が、趣味で登った山の絵地図をブログに掲載していた時のこと。その絵地図は本にまとめられブログは閉鎖。その後も長野県内の里山を中心に絵地図の楽しいガイドブックを何冊も出されています。
 その本を見ながら、一番有名なのは坂城神社から登るルートなんだけどねぇ、なんだか登ってるだけなんだよねぇ。磯部から登った方が史跡見学としては楽しそうなんだよねぇ。じゃぁこっちから登ってみようかなぁ。
 国道18号線を戸倉から坂城方面へ。南磯部の信号のちょっと先を右手に踏切をこけまっすぐ山の方へ。道は軽自動車が通れるほどの広さになり、どん詰まりがここです。昔米の搬入に使われていた道っていうからコメかと思ったらよねなのね。

 ここから整備された遊歩道を進みます。
 今回はYAMAPを使用。歩き出すと、提出された登山届と違います、とか表示されるし。こっちからの登山届出したかったけど、誰も活動報告していないルートの登山届は作れなかったし。まぁ、自宅の母には磯部から登るって言ってあるし。
 今から数十年前のこと。親戚の家に遊びに来た時に、親戚の家の近くの山がどうなっているのかすっごく興味があったのですが、まさか一人で登ることになるとは。
 
 ここで沢を渡り本格的な山道になります。沢沿いにのぼっていく道は、いつの間にか尾根の脇にたどり着きます。道々に小さな石柱に場所の名前が案内されています。
  
 堀切っていっても大したことないでしょ、と思っててごめんなさい。写真ではうまく写っていませんが、結構深い堀切でした。
 この奥には北アルプス爺ヶ岳が見えています。
 本丸の東屋には登頂記念スタンプなるものも。坂城はネズミ大根と薔薇と鉄で有名になろうとしていますけどねぇ。全国的にはどうなんでしょうか。
 
 もしかして、石垣の上が登山道になっています?
 来た道を尾根伝いにコルまで下ります。下りきったところは、林道北山線の終点。ここまで車で着て葛尾城にのぼることも可能とか。車の運転に自信があれば。
 これ見ると、坂城城から登る道は、ただひたすら土塁を登ってる感じになるんですかねぇ。
 ここからが辛かった。尾根の上をだらだらと緩急のある坂道をひたすら上る登る。勾配がなるくなり尾根が広くなったところで、ようやく分岐。ここまでくれが、もう一息。いろんな方面から登山道がついているので、確かめながら進まないととんでもないことになりそう。
 展望の良さに目が回る。対岸には、上山田温泉街。その上に荒砥城跡があるはずなんだけど。その奥には、北アルプスの連山がデーン。
 写真じゃわからないですけどねぇ。目の前に鹿島槍の南峰と北峰。そこから北の端になるい山。北のなるい山といえば蓮華岳かなぁ。ちょっと南には小指ほどの槍ヶ岳が見える。槍ヶ岳の手前の尾根の三角の山といえば常念。その南のなるい山といえば蝶ケ岳。わ~雄大な景色をみながらお昼、お昼。。と思ったらハエがうるさいので泣く泣く下山。
 登って来た道をまた下山。コルまで下る前に分岐がありました。
 それにしても、若葉が目に染みるとはこのこと。このまま磯部方面に降りて帰途についたのでした。