愛の軌跡(日航ホテル香港) 61 | siriusu1960 愛の軌跡(1991年~2012年)

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1991年4月、運命的な出会いから

2012年5月、永遠の別れまで

その愛の軌跡を綴ります。

 

【 香港 (日航ホテル香港)⑤ 】

 

香港の6月は、一年で最も暑い、陽が沈んでも、外気温は30度以上、

 

ただ厄介なのは、レストランなどの室内では、異常ともいえるくらい、冷房がされており、長袖のシャツは、かかせない。注意しないと、外気と室内の温度が大きく、度々体調を崩すことになる。

 

彼女は殆ど、汗をかかなかった、・・・

 

暑くても、手をつなぐか、・・・腕をくむ・・・

 

『汗っかき』の僕は、・・・すごく・・・きになり・・・

 

「ごめんね、・・・」と、・・・言うと・・・

 

「いいの・・・、いいの・・・、」と、・・・彼女は気にしない、・・・

 

細かいことは、気に留め居ない、・・・おうような人・・・だった・・・

 

 

食実後、・・・ビクトリアハーバービューを散歩、・・・

 

現地の香港人は、・・・上半身裸で、夕涼み・・・

 

残念ながら、この季節のデートコースに、

 

ロマンチックな雰囲気は、・・・ない・・・

 

 

 

「去年、ここを散歩した時のこと、・・・憶えてる?」

 

「ええ、・・・」

 

「あの時も、・・・長く・・・逢えなかった・・・」

「今回も、・・・同じだね・・・」

 

「そうね、・・・」

「でも、・・・あの時は・・・ここで・・・別れたわ・・・」

「今日は・・・一緒よ・・・」

 

「次は・・・どうかな~~」

 

「えっ、・・・」

「もう・・・いやよ・・・だめよ・・・」

 

腕を組んだ、・・・彼女に手に・・・力が入った・・・

 

 

 

【 香港 (日航ホテル香港)⑥ 】

 

 

その夜、・・・彼女は全く別な女性に・・・変身した・・・

 

 

ビジネスでは、英語と中国語を駆使する、『キャリアーウーマン』

 

手紙では、どこまでも淑やかな、『淑女』

 

 

一緒に居る時は、『少しサディスティックな彼女』

 

そして、・・・夜は・・・『妖艶で魔性のおんな』

 

 

その時、黒沢年男さんの、あの歌が浮かんだ、・・・・

 

 

『時には○○のように』

 

 

あの歌詞の・・・一節・・・、

 

その・・・もの・・・、だった

 

 

 

【 香港 (深圳リトルチャイナ)① 】

 

香港から、深圳経済特区(中国本土)に入国するには、2つのルートがあった。

深圳駅から羅湖地区に入国するルートと速船で、蛇口に上陸するルートがあった。

 

深圳駅は、出入国で混雑し、治安も悪かった。香港からの高速船は約1時間で蛇口に到着する。

 

 

蛇口は、入国審査後の出口は混雑も少ない。

 

 

 

リトルチャイナは、羅湖と蛇口の中間で、移動は、どちらからでもタクシーで20分程度だった。蛇口の港を出るとすぐに、南海酒店(ホテル)がある。

 

 

上級のホテルではないが、深圳出張の際は、良くこのホテルを利用していた。

取引先の三洋電機の工場は、ホテルから近く、日本の長期滞在者も利用していた。

 

 

*現在は、橋もかかり高速バスでの入国も可能となっている。

 

 

 

 

<彼女との出逢い>

共通した知人・井川氏の交流を通して、1991年4月、「運命的出逢」

 

1992年5月(彼女の似顔絵:自作)