執着を手放す哲学  マドモアゼル・愛 | けら’s ブログ 誰か知る 百尺下の水の心

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氣になった記事を自分の覚えのためにご紹介をしています。一種の思考訓練の場と考えております。いろいろご意見あろうかと思いますが、突飛な話とお考えの向きは、ファンタジーだと思ってご照覧くださいませ(^^)ノ

 

 

マドモアゼル・愛

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「執着とは何かというと、変化を受け入れないことなんです。 変化を受け入れることができれば、それがこの世の実態なので、実態に即して生きられて幸福になります。 何に執着するのか、、、良いことに人は執着します。良いことを手放したくない、、失いたくない、、結果、良いことに執着して悪くなります。 変化しようとしているものをとどめようとすれば、必ずおかしなことになりますが、人は常々幸福を求めると言いつつ、良いと思われるものに執着して放そうとしません。しかし、変化は大きな法則なので、変化を止めることは人間にはできません。できないことをやろうとするから、不幸になるわけです。 では、黙って変化を受け入れればいいんですか、、、となるのですが、それ以外にないわけです。そんな受け身風に考えていたら、人には不幸が襲ってくると多くの人は思ってしまいます。 不幸も幸福と思われることも、とにかくすべては変化していきます。良いとか悪いとかではなく、事実なわけです。それを受け入れる、、、すると何が起こるのか、、、、人がもっとも受け入れたくない変化、それは死かもしれません。 しかし、その時が来たならば生に執着しないで変化を受け入れる、、、それが哲学です。武士道であり、養生訓であり、葉隠れなど、古今にある様々な哲学は、死という変化を受け入れる哲学ともなっています。それは、変化を受け入れるという一点の重要性です。 では、変化を受け入れる意識がもたらすものは、何なのでしょうか。悲しみでしょうか、、、あきらめでしょうか、、、無念さでしょうか、、、実は喜びなのです。この世の原理にそった意識で対応する際にもたらされる喜び、、、これからの時代、人はここから再スタートしていくように思えてなりません。 

 

#武士道 #葉隠れ #変化を受け入れる 」