靴屋のマルチン「もっとも小さい者にしたことは、、」マドモアゼル・愛 | けら’s ブログ 誰か知る 百尺下の水の心

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氣になった記事を自分の覚えのためにご紹介をしています。一種の思考訓練の場と考えております。いろいろご意見あろうかと思いますが、突飛な話とお考えの向きは、ファンタジーだと思ってご照覧くださいませ(^^)ノ

香山リカさんとの対談動画は削除されましたね(笑)ホッとしました。

マドモアゼル・愛 

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「トルストイの話にある靴屋のマルチン。それはマタイ伝という新約聖書の中のイエスの話しからヒントを得て作ったものです。 マルチンは夢のイエスに告げられます。「明日あなたは私とであう」と。しかし、翌日マルチンが出会った人は、寒そうにして雪かきをしていた老人であり、やはり寒そうな薄着で赤ん坊を抱いていた女であり、リンゴ盗む少年と困っていたリンゴ売りのおばさんでした。 今日も普通と同じ一日が終えていくと思ったマルティン。「イエス様のことはやはり夢だったんだ」と床に就くと、イエスが夢枕に立って、「私は老人であり、私は赤子を抱いた貧しい女であり、私はリンゴを盗んだ少年であり、困っていたリンゴ売りの女であった」と告げます。 この物語りの原典であるマタイ伝では、次のように書かれています。 もっとも小さき者になしたのは、すなわち私にしたのだ、、、という内容が細かく書かれている。 そして昨日、たまに見るYouTube動画でその話しをしている方がおり、神が人を神と悪魔に分類するのが、小さき者に成す気持ちがあるかないかで判断する、、、とおっしゃっていたのがとても印象的だったのです。 世界には終末思想があります。そして最後が主の日になるのですが、その日には人は二分されるとのことです。神に選ばれるのは、霊的に高いとか周波数が高いというのではなく、小さな者にやさしい気持ちを持てる人かどうかで区分けされるというのです。小さな者に心を向けられない人と、向けられる人がいるというのです。 この神の選別のポイントは、極めてわかりやすく、その通りと思った次第。何か良いことをするのも大事でしょうが、そうした心を持てるかどうかは、けっこう最初から決まっていて、持てない人はどんなに立派に見えても持てないようになっているらしい、、、神に属する人は、そうした心を持っている、、、というような私の解釈ですがそうおっしゃる。なるほどな、、、と思った次第です。 トルストイの小さなこの話しは、神の選別を示す、大きな意味がきっとあったのだと思います。単に良いことをしましょう、、、ではない、選別のカギを語る物語りではないかと。 実際、トルストイは貧者にほどこしをするばかりに妻や家の女性たちと決定的にうまくいかなくなります。様々な条件や事情があり、トルストイが正しいのか、妻が正しいのかは私たちにはわかりませんが、小さい者へのやさしい心をトルストイがもっていたことはうかがえます。 今が終末とはいいませんが、終末チックな様相がこれまで以上に高まりつつある中で、自然で二度と会わぬ小さな者へやさしい心を向けられる価値は、高まっているように思います。 お知らせ 本日は大変お騒がせしました。皆様のお叱り、応援に本当に感謝する次第です。あれから、今回の問題は私が座談会の内容と対談相手への理解が足りないことが原因で起きたことで、対談者に対しても出版社に対しても、申し訳ない気持ちでおります。 遅ればせながら色々なことが自分なりにわかってくるにつけ、価値観や生き方、考え方の相違に気づき、どちらが正しいとかでなく、このままでの対談は三者にとって不自然なものになると考え、対談記事の削除をお願いいたしました。 私のわがままを両者ともお受けくださりましたので、9月13日の発売内容から私との座談会記事はなくなることとなりました。つきましては、これに関係する二本の動画も本日をもって消去させていただきます。すべて白紙に戻すことで三者合意いたしましたので、皆さまにお知らせする次第です。 本日、12時頃を持ちまして、二本の動画は消去させていただきます。多くの皆様にご心配をおかけしましたこと、ありがたく心に留め置くつもりです。ありがとうございました。」