●邪気なの、どうなの?
※邪気の定義としては、
持ち主にとって障りがある気を邪気と呼んでいます。
この基準をもつようになったのは
独自の気功でもって邪気浄化を趣味としていた(^^;)、ときどき日記でK氏として紹介していた
故・きこうしさんの主催していた真気塾からです。
「波動」について語るにはわたしにとってここははずせない道なのですな(^^;)。
失敗しながら霊障?をふりきるにはそれから2年ちかくかかっており、
おぼろげながらも、気と霊と波動の関係がみえてきて
そのたびに あ、そうだったのか、と気づくこともあります。
真気塾では人の中心となる胸の気(ほぼ壇中に存在する光) をおおきくすることを趣旨として
気功の基本を紹介しており、
今はその娘さんがきこうしさんのサイトをひきついでコンテンツが公開されています。
●中心をもつ
さて邪気についてですが。
ねばりのある気や、やわらかな感触のとりまく気があっても、
人間や生き物はなんらかのオーラをまとっているので(^^;)、あっても当然なのです。
ただ自然にちかいほど、この手ごたえの感触はうすれ、
足にからまるような重い瘴気をかきわけるようなことはなく、
大気にまじりけがすくないようです。
ただやはりねばりケのある気というのは
周囲にも当人にも程度の差はあれ、影響力をあたえるようです。
たとえば頭からすっぽり膜をかぶせられたような タマゴのようにおおいこんでしまっている感触をもつようなオーラは、
思考をねじまげられたり、判断のときに ストーカーのごとく ベタベタつきまとい、
当人が判断したつもりでいても その影響をしらずに色濃くうけてしまっていたり。
そのねばりケがもっている?プログラミングされた情報??が好むような嗜好に
無意識にえらばされたりしてしまうようなので(^^;)、
いかにこの足にからまるような粘りをかるくしてゆくかが課題といえそうです。
邪気についてですが 当人や周囲にとって、
できごとをねじまげるような強い力をもったモノや、
運命を邪魔するモノでなければそれは邪気とはいわないときもあります。
邪気かどうかは、
持ち主の中心となる基準によって判断されますので
どこに中心&重心をもっているかがネックとなるようです(^^;)。
わたしのよく行っていたサイトでは、
その波動の中心が
胸の壇中の奥あたり というのが、【邪気かそうでないかを見分ける基準】としておりますが、
ヘンクツな私はその基準をまだまだハズしまくっています(^^;)。
中庸 という言葉が好まれるようになったのも 変動する世の中をわたる必須の基準かもしれませんね。
