地表上で暮らしている私たちの目標は、

二元性の統合です。

 

あらゆるものには二極あるというのが法則なので、

光に対しては闇があるし、

善に対しては悪があるという様に、

二つで一つのセットになっています。

 

二元性に留まった状態というのは、

光に対しての闇が分からないとか、

光しか見えて居ないといったことだったり、

光と闇があるのは分かるのだけど、

光の方が正しくて優れているという様に、

正誤や善悪や優劣で判断する様な状態です。

相反する二つのものがある、

と分かっただけでは統合しているとは言えません。

こっちの方が絶対的に正しいのだ!

といった思考の偏りがあるなら統合していません。

 

よくスピ系の人達は光側とか闇側といった表現をして、

自分達は光側の人間だと言いますよね。

 

あらゆるものには二極あるというのが法則なので、

何かを光と設定するならそれとは反対の闇が必ず発生する、

というのが法則です。

自称光側の人達にとっては、

自分たちが闇と設定した特性とは反対のものを持っている、

というのが光なのでしょう。

 

例えば光について、

明るくて暖かいといった肯定的な側面がありますが、

強すぎる光は目が眩んだり、明るすぎると逆に見えなくなります。

光だけが素晴らしく絶対的なものなのではありません。

 

逆に闇について暗くて寒い、寂しいといった否定的な側面がありますが、

眠る時は明かりを消した方が深く眠れますし、

夕方の様な適度な暗さはリラックス出来ますよね。

夜が暗いから美しい星々や月をはっきりと眺めることが出来ます。

 

どちらも行き過ぎれば毒になるし、

絶対的に善いとは言い切れないし、

絶対的に悪いとも言い切れないものです。

その様に捉えることが出来るのが統合意識領域の考え方で、

何かを善いと捉えた時には同時に悪いという捉え方も浮かびます。

 

下記はよくご紹介している方のブログ記事です。

 

 

謎の黒い惑星を発見…光を99%以上吸収

 

光のエネルギーを99%以上吸収してしまう、

石炭より黒い惑星を米ハーバード・スミソニアン天体物理学センターの

研究者らが発見した。

惑星の大気に光の吸収を促す物質が存在するとみられるが、

それだけではこの黒さを説明できず、

大きな謎として話題を呼んでいる。

英国王立天文学会がホームページで発表した。

 

「黒い惑星」は木星ほどの大きさ。

地球から、りゅう座の方向に750光年離れた恒星のそばを回っている。

科学者らが、米ケプラー衛星が観測した光の反射率データを調べたところ、

ほとんど光を反射しない「黒い惑星」を見つけた。

恒星の光を吸収しているため、惑星の大気の温度は1000度以上に達し、

吸収熱で表面はわずかに赤みを帯びている可能性もある。

大気には、光を吸収しやすいナトリウム、酸化チタンなどがあるとみられる。

(2011年8月16日13時59分 読売新聞)


これは、竜座(Draco)の領域内なので、
いわゆる、“暗黒惑星”のひとつです。

この星のことは、放っておいたほうがいいと想いますよ。

「ニビル」についてもそうですが、
“暗黒惑星”と呼ばれる理由は何なのかと云えば、
「魔のエネルギー」を放出しているからです。

宇宙には、光と闇が存在していて、
その両方が、均衡を保ちながら漂っています。

“光は 光そのものだけでは その輝きを得ることは出来ず
闇は 闇そのものだけでは その深淵さを保つことは出来ない”

これは、古代グノーシス派に
口伝秘伝として伝わる真義のひとつです。

つまり、光と闇とは、お互いに、切っても切れない関係であり、
どちらか一方を排除してしまう、ということは出来ないものです。

いま・この時期の私たちに求められていることは、
自らの内に、光と闇とを統合することです。

ですから、「善いことだけを考えていよう」という発想は間違いです。

自らの心の闇と向き合い、
それを解き放つ作業を行なわなければ、
単に、臭いものに蓋をしただけであり、
何の解決にもならないからですね。

既存の地球物質界では、この対極の状態にあり、
「悪いことで埋め尽くしてしまおう」というものでした。

それなので、バランスを崩してしまい、
現状に至っていますね。

“暗黒惑星”と呼ばれている星の住人たちは、
闇の活用方法を著しく間違ったために、
バランスを崩してしまった、ということです。

闇そのものは悪いものではなく、それを悪用することで、
あるいは、光を無くした状態で「欲深さの追求」を行なうことによって、
バランスを崩します。

その結果は、破滅、滅亡、死滅…です。

ですので、「魔のエネルギー」の目的は、
あくまでも、「死への誘導」を遂行するのみとなります。

竜座(Draco)と云えば、かつて、
地球地表上の闇の権力のトップに居座っていた、
闇のイルミナティであり、レプティリアン(Reptilian、爬虫類人)
の住処です。

今現在、竜座は、外宇宙のセキュリティ集団、
銀河連邦によって完全包囲中です。

闇のイルミナティのトップは、すでに地球外ですが、
レプティリアン種は、地球地表上に、いまだ存在していますね。

彼らは、新しい時代に入りたいようなので、
多くの闇の残党整力の手下たちを尻目にして、
光のほうへと方向転換を図りたいようですが、
天上界が、「OK」を出すかどうかは分からないです。

それは、ちょっと、Kagariに問い掛けられても困るけど…

地球物質界の「最後の総仕上げ」を、如何に持ってゆくか?
によるのではないでしょうか。

 

”宇宙には、光と闇が存在していて、
その両方が、均衡を保ちながら漂っています。
“光は 光そのものだけでは その輝きを得ることは出来ず
闇は 闇そのものだけでは その深淵さを保つことは出来ない”
これは、古代グノーシス派に
口伝秘伝として伝わる真義のひとつです。
つまり、光と闇とは、お互いに、切っても切れない関係であり、
どちらか一方を排除してしまう、ということは出来ないものです。”

とあります。

 

光だけの世界とか闇だけの世界というものはなくて、

両方があるというのが宇宙の仕組みです。

闇を排除しよう!という思考は、

法則や真理に反しているんですね。

 

両方あるよというのが法則であって、

これはどちらもあることを肯定している、

という姿勢でもあります。

排除しようというのは否定ですね。

肯定に対して否定がありますが、

この宇宙はあらゆるものを肯定しています。

 

 

銀河ネットワークさん玉座という記事には、

 

現在、日本領域は諸外国の領域に対し玉座の領域に位置しています。
(玉座の領域=統合意識領域)
今後のターニングポイントに向けて
外部ホログラムの修正及び構築を実施するにあたり、
二極性のエネルギーに関する三次元領域意識による偏見を
リセットすることが必要で、
ネガティブエネルギー(陰・闇)と
ポジティブエネルギー(陽・光)の扱い方が重要になります。
 
要約すると、今回のプロジェクトは当初計画のとおり、
ネガティブエネルギー(陰・闇)の存在が無かったら
完了することは出来ない
という顕在意識での認識が必要です。
=ネガティブエネルギーの受容=表裏一体
 
玉座領域から俯瞰すれば、ネガティブエネルギー(陰・闇)も
銀河プロジェクトメンバーの一員であることが理解出来ます。
 
今回の銀河プロジェクトが完了すると、
ネガティブエネルギー(陰・闇)は
任務を終えて本来の存在領域に還っていきます。
 
宇宙を構成している領域には普遍的な秩序があり、
本来は異なるエネルギーとの交流は原則成されませんが、
三次元地球領域は高次領域の意図の下、
銀河の壮大な実験領域として創造された為、
特別に各種のエネルギーが各領域から召喚され営まれています。
 
今回のプロジェクトが完了すると、ガイアシードが誕生します。
ネガティブエネルギー(陰・闇)の値が巨大であればあるほど、
ガイアシードの経験値は向上することが可能となり
異なる周波数の免疫力が強化されます。
 
"要約すると、今回のプロジェクトは当初計画のとおり、
ネガティブエネルギー(陰・闇)の存在が無かったら
完了することは出来ない
という顕在意識での認識が必要です。"
とあります。
この箇所でも二極あること、表裏一体であることに触れていて、
宇宙法則や真理に沿った説明であることが分かると思います。
 
情報を読む時は、この法則や真理に沿っているのかな?
と考察することが大事です。
その情報が悪いという意味ではなくて、
自分自身の識別力を上げる為に必要なことなのです。
学んだことを本当に理解していないと、
見極めることが出来ません。
この情報はどうかな?と考察することは実践訓練でもあります。
 
 
二元論で語る光と闇がとても多い事に、
問題を感じています。
闇だからといって、
排除や拒否出来るものではなくて、
光と闇はセットになっています。
参考になりそうなある方のブログ記事を、
いくつか下記でご紹介しますね。
 
2018年からスピ系の情報発信を再開して、
二元性の克服、二極の統合についても説明してきましたが、
悪質なパクリはこちらの情報の言葉だけを拾って、
捻じ曲げて発信するので、とても迷惑しています。
 
最も大切なことは、自分自身で、霊的なサインを受け取る、
といった霊的な感覚を、肌で観じることです。

それを、たった1回だけに留めておかずに、
2度も3度も、霊的なサインを受け取る体験・経験を重ねることです。

そのことが、あなたにとっての「確信」となってゆきます。

カバラの基本的な教えの中にも、

“如何なる大聖者であっても
他の誰かの人生を代走することは出来ない”

というものがあります。

そして、あなたは、霊的な体験をしたことを、
特に、誰かに話す必要もないのです。

“光を得たものは 闇に狙われる”

一般の人々は、生命を狙われたときに、
すぐに適切な対処が出来ないので、
何者かから狙われないためには、
そのことを、他人には言わないほうがよい、
という意味です。
 
二極あるのが法則ですから、
光を選択すれば闇が引き寄せられてきます。
私の勉強の為には発信することが必要だったのですが、
ストーカーの様な人も多く、
どういった表現が相応しいのか、毎回頭を悩ませました。
ストーカー化する人というのは、
自分で自分をコントロール出来ない人で、
獣化していると言えるでしょう。
 
 
ポジティヴとネガティヴ
 
ポジティヴとネガティヴとは、
どういうものなのでしょうか。

言い換えるならば、
善と悪、光と闇、陽と陰、
ということになるでしょうか。

こういう風に書かれると、
ポジティヴは印象が良く、
ネガティヴは印象が悪いもののように
捉えられてしまうかもしれません。

ですが、この相反するものは、
互いに異なる視点から眺めた状態であり、
本来、一心同体なものです。

どちらかひとつが欠けてしまうと、
もうひとつの側面は生かされません。

宇宙が進化するためには、
どちらか一方だけというわけにはいきません。
互いに互いを必要とします。

例えば、悪は悪いものだから、
闇は良くないものだからと、
それらを一方的に切り捨ててしまうと、
宇宙のあらゆる進歩が止まります。
ですから、どちらも大切なものです。

しかしながら、私たちの多くは、
ネガティヴでいるよりは、
ポジティヴでいることのほうが好ましいと
思う傾向の方が強いと云えます。

ポジティヴは、意識や物事の明朗さや、
快活さを表現する一方、
ネガティヴは、意識や物事の暗澹さ、
陰鬱さを表現していることは
イメージ出来るかと思われますが、
このようなポジティヴな状態を支え、
気づかせるために、
ネガティヴな状態が存在しているとも云えます。 
 
善と悪
 
私たち地球人類は、
善か悪かで、物事を判断する傾向が強いのは、
遥か昔からよく知られていることです。

私たち地球人類において、
この善か悪かの判断基準は、ほとんどの場合、
この3次元領域の世界のみにおいての判断基準です。

もし、私たちの住んでいる世界が、
多次元領域からなる世界の一部であることに気づくと、
善悪の判断基準は大きく変わってくるでしょう。

宇宙の視点に立つならば、
善悪の概念は存在しないからです。

ですが、ここで注意しておきたいことは、
当然のことながら、殺人、強盗、略奪など
道徳に反したことは、いけないことであります。

善悪の判断基準が大きく変わり、
その善悪の概念を超越してしまったとき、
それら道徳に反した事柄、想念とは、
もはや共存できません。

これら道徳に反したものは、
低次元領域の意識であり、
高次元領域では存在できないものであります。

しかし、ここでも、悪は悪いものだからと
切り捨ててしまうことは出来ないのであります。

悪の側面がなかったならば、
善なるものがどういうものなのか、
なぜそれが大切なものなのかが、
私たちは確かなものとして認識することが出来るでしょうか。

だからといって、悪を奨励するものではありません。

あなたが人生や生活において受け取り、見せられる現実の中に、
悪の嫌な側面が目立つとするならば、
あなたにとって、善なるものがいかに大切なことであるかを、
学ぶ必要性が高まっているからであるのかもしれません。
 
 
これは鏡、投影ということにも繋がりますが、
自分が悪いと感じることをしている人が目の前にいて、
鏡だ!と言う時、
その行為をしているのはあなただ!
という意味ではないです。
様々な解釈が生じて、その解釈は自分の内側にあるよ、
ということで、

目には見えなかった自分の価値感や固定観念を見せてくれるのです。

 
自分も同じ様なことをするから恥ずかしくなって、
見たくない、排除したいと感じたり、
逆に、あれだけは絶対にしないと決めていることを、
行なっているから腹が立つとか。
絶対にやっちゃ駄目なのだから悪い奴だなと裁いたり、
自分は我慢しているのにと嫉妬したり。
 
鏡、投影というのは、
自分の内側にあって癒されていない、
受け入れられない何かを、
目の前の人や物事を通して、
見せられているんだよという意味です。
 
何を感じるのか?
絶対的に倒さなくてはいけない悪だと感じるなら、
それは自分の行き過ぎた正義感を見せられているし、
とにかく嫌悪感で一杯になる、欲しくないと感じるなら、
だからこそ自分の望みや欲しいものがはっきりします。
自分に必要だから引き寄せているよ!
見せられているんだよ!ということですね。
 
 
他人の中の心の闇

私たちはこの世界で暮らしていると、
他人を見る判断基準は、
外見やその人の肩書きに頼る部分が大きいと思います。
その人の見てくれが良かったり、社会的にそれなりの地位にあり、
名声を得て、経済的にも成功している人であれば、なんとなく、
素晴らしい人なのではないかと思い込んでしまいます。

普段の生活の中では、
他人の本音の部分はなかなか見えてこないものです。
また、本音を悟られまいと、
必死で隠そうと理論武装することもあるでしょう。

私においてもそうですが、
物事を自分の都合の良いように
受け取ってしまうことも多々あります。

それでも、自分の中の心の闇を暴かれてしまったら、
痛々しい思いをして打ちのめされてしまいます。
必死に自分を守ろうと、
相手に対して自分自身を正当化しようとします。
逆に、開き直ってしまうこともあります。
それが、無駄なあがきであったとしても。

他人の中の心の闇を見せられてしまうこともまた辛いことです。

他人の中の心の闇を見せられるということは、
それは、自分の中にも、
そのような闇を抱えているからということもありえます。
ですから、そのような相手を見て批判を加えておとしめるのではなく、
そのような相手であっても、許しの気持ちを持つことも大切です。

自分についても何か心当たりはないだろうかと、
自分を見つめるキッカケを与えてくれているのかもしれないからです。

他人は他人にあらず、
自分も他人も心の深い部分で繋がっているからです。

お互いが鏡となって、
お互いの中の闇を見せているのです。
この一見辛い作業が、お互いの中に潜む膿を吐き出し、
心や魂の浄化を促していきます。
 
 
この闇というのは何かというと、
宇宙法則や真理に逆らった状態、
否定や拒絶をしている状態になります。
 

”闇そのものは悪いものではなく、それを悪用することで、
あるいは、光を無くした状態で「欲深さの追求」を行なうことによって、
バランスを崩します。
その結果は、破滅、滅亡、死滅…です。
ですので、「魔のエネルギー」の目的は、
あくまでも、「死への誘導」を遂行するのみとなります。”

という箇所がありました。
 
どちらか一方を排除した状態で、
バランスを崩して偏ってしまうということですね。
光を求めすぎる、善を追求し過ぎるという状態もまた、
闇や悪を否定しているので、
これもまた別の闇であり悪になります。
支配というのは、誰かが一番で、
それ以外の支配される人がいる、
というような上下関係を作りますが、
自分が一番、他者は否定というような状態ですよね。
 
支配のない関係というのは、
自分もあなたも別々の人間だから、
意見が違うのは当たり前だよね。

私と同じ様にあなたの意見も尊重するよ、

といった自他同一の意識があります。
どっちが上でどっちが下とかないよね、
あなたの意見を無理矢理取り入れないし、
私の言う事を無理矢理聞かせることもしない。
それぞれ違っていいんだと受け入れます。
 
闇だ悪だと感じるものがあっても、
それはそれでいいのだと肯定できるのか、
どうにかして排除してなくしてしまいたい、
と考えるのか?
 
 
ツイッターのアムというアカウントと、
yutakaというアカウントについて触れましたが、
この二人は二元性を克服しておらず、
闇や悪を排除したい、という思想を持っています。
 
アムさんという方は、救急車で運ばれたといったツイートがあって、
何年も更新されていませんから、
詳しくは書きませんが、
この方は、天使界が非常に気に掛けていて、
方向転換する様に求められていました。
あれほどの知識と経験があるのなら、
自分をちやほや持ち上げる人たちから距離を取って、
私のことより自分と向き合いなさいと諭すべきでしたよ。
後悔しても遅いということもあります。
 
yutakaというアカウントやそれに追従する人達は、
例えばお金が諸悪の根源と言いますよね。
極端な思想です。
本人達は光や善だと思っていますけれども、
自分達以外を否定していますので、
光でも善でもないのです。
 
宙ぶらりんの状態ですが、
yutakaというアカウントに関しては、
人心を惑わしているということで獣指定されていますので、
天使界から何度も警告を受けています。
プロフィール画像に関しては、
虎の威を借る狐だと言われてます。
イメージ戦略ですよね。
アーティストが築いたイメージに乗っかっているだけで、
オリジナルなものではありません。
 
この記事を書くのは、
天使界だけではなくて天上界からの依頼もあり、
立ち位置をはっきりさせなくてはいけない為です。
 
こちらの主張に寄った言葉を使って、
光や善を装って、
反対側に誘導しているんですね。
悪用されるのは私の望みではないです。
 
宗教が悪だ、神社は悪い場所だ、
といったことも言いますけれども、
今、呼ばれたと感じる人がいたなら、
すぐに神社等参拝して下さいね。
私も先日、急に呼ばれて一之宮を参拝しましたが、
霊的な領域のシールドを張り直したり、
意識と周波数を上昇させて、
難から逃れることが出来るようなサポートがあります。
外野の声に振り回されず、
自分自身の直感、内なる声に従って下さい。
 
 
ネガティヴ・コントロールから目を覚ましてください

相変わらず、イルミナティの情報に
振り回されている方は多いかもしれません。

他でも、伝えられているかもしれませんが、
念のために、このブログ上でもお伝えしておきます。

イルミナティについては、多くの誤解があり、
(フリーメーソンについても、いわゆる、
古代フリーメーソン派においては)、
これについても、他で書かれてあるかもしれませんが、
私も、古代グノーシス派の教えを尊重するために、
ここにお伝えしておきます。

イルミナティの本来の意味は、
“光輝くものたち”のことであり、
それは、地球内部世界「アガルタ」の中心地、
シャンバラのマスターたちのことであり、
つまり、大白色聖同胞団のことを指します。

(Kagariは、あきらめが悪いですから、
何度でも同じことを、根気良く、
お伝えさせて頂きたいと想います。
ただし、アセンション3秒前までかしらね★)

1年ぐらい前にも、申し上げましたが、
いわゆる、インターネット上で騒がれている、
イルミナティの悪性宇宙人種は、もうとっくに、
この地球上から離れています。

いま、現存している闇の残党勢力は、
闇の親分は、もうとっくに居なくなってしまったというのに、
ネガティヴ・コントロールから抜け出すことが出来ず、
自暴自棄になって、あがいている連中のことです。

ですから、闇の残党勢力と呼ばれます。

これらの情報に縛られている限り、
彼らのネガティヴ・コントロールから、
抜け出すことは、決して出来ません。

彼らのネガティヴ・コントロールは、
とにかく、私たちの不安や恐怖を
煽って来ることに必死です。

食糧危機が訪れると煽る問題も然りです。

彼らの情報に焦点を合わせて、
不安や恐怖を募らせている限り、
何の解決策も見出されません。

彼らは、少しでも、地球人類の目覚めを、
遅らせようと、無駄な努力と、
意地を張っているだけです。

聖書で云われるところの有名な、
「ヨハネの黙示録」で書かれている予言とは、
その大部分が、西暦2013年~2020年の間に、
起こる確率が高いと云われているものです。

それは、3次元物質界という
「この世界」の延長線上にあって、
起こって来る可能性のある事象です。

「この世界」は、後方に、そして最下層に、
取り残されてゆく残像の世界です。

彼らのネガティヴ・コントロールに掛かったままで、
彼らの情報に縛られ続ける限り、そのような方々は、
「この世界」に、取り残されてゆきます。

それは、つまり、「ヨハネの黙示録」をそのままに、
その予言の通りに、体現して生きてしまう
ということになります。

それは例えば、占い情報をチェックしていて、
占いの通りに当たった!と思い込んでいるようなものです。

このようなことは、
自分自身の意思を他のものに委ねてしまい、
本当の自分自身を生きていない状態です。

運命は、時には、他者からの介入によって、
揺り動かされ、予想だにしない方向へと
辿り着くことがありますが、基本的には、
自分自身の意思で運んでゆくものであり、
それをすべて放棄してしまい、
他のものに依存しているのです。

そのようにならないためにも、
心と魂の浄化を、絶対に、
疎かにしてはいけないのです。

ですから、私たちは、少しでも高く、
意識と周波数を高めて上昇させていく
必要があるということをお伝えしております。

いま、この時期に、“36”や、“369”、“567”、
“666”、“999”などの「弥勒の世」を表す数字を、
意図的にではなく、さり気なく、そして、
頻繁に見せられるということがあるのであれば、それは、
5次元領域以上の高次元世界と「この世界」との、
両方の住人となっていることを告げるものです。

それは、いつでも、「この世界」を
離れる準備が出来たということであり、いつでも、
アセンション可能であるというサインです。

これは、私たちのこの時期においての、
最重要なサインであり、アセンションの移行過程です。

しかし、だからもう安心、という意味ではありません。

私たちは、この移行過程の最中においても、
更なる高みを目指して、霊性向上の道を学び、
励んでゆくことを必要とされています。

そして、「内なる神を見出す」という教えについて、
三位一体の教えについて、説かれていないものは、
すべて、ニセモノです。

もちろん、「内なる神を見出す」ために、
不安や恐怖を掻きたてられて、
多額のお金を要求されたり、
おかしなマインド・コントロールを
掛けられたりするようなものは、
ハッキリと申し上げますが、ニセモノです。

ここが、正念場です。

私たちは、最善なる思考のもとに、
直観と閃きとをよく見逃さずに、
全力を尽くし続けましょう。
 
お金が諸悪の根源だ!と思った時、
でも本当にそうだろうか?
別の見方は出来ないかな?
という思考を持てるのか。
 
もし持てないのなら、
鵜呑みにしているし偏っています。
両方の見方がある中で、
私はこれを選ぶというのが、
二元性を克服した人の在り方です。
 
 
例としてyutakaという人の拡散されているブログ記事から、
抜粋して説明したいと思います。
 
光を照らせば闇はなくなる。
排除するものではなくて、照らすもの。

 

といった表現があります。

 

 
根底に闇をなくそうという意識がありますよね。
表裏一体であるという法則から闇を捉えると、
闇をなくすことはできませんので、

光に転換するんですね。

闇そのものはある、なくなることはない、
ということになります。
闇と捉えていたそのものの別の側面を見つけ出す、
ということが転換です。
光を照らすというのもとても抽象的な表現です。
照らしてなくすのではなくて、
見ない振りをしていた心の闇と向き合って、
受け入れて許していく、悪いものだと排除した意識を変える、
というのが光を当てるということです。
なくならないですよね。
あってもいいんだと受け入れるんですよ。
闇を照らすというのは隠してきたものを、
浮かび上がらせるといった意味で使っています。

こういう表現は曖昧で、

読む人それぞれが自由に解釈するのでしょうけど、

善悪二元論で他者を裁く人には、
心地良く響くのかもしれません。
 
 
別の記事では、
 
まずは自分自身が誰よりも正しく生き、
たった独りでも不正のノー!と言える勇気を持ち、
強く正しく清らかに生きることです。
 
といった表現もあります。
 
かなり驚いています。
未だにこんな主張に共鳴する人がいるとは。
ショックですね。
 
 
”誰よりも” → 他者との比較があります
”正しく生き” → 正しい生き方という絶対的な基準は何でしょう?
”不正のノー!” → これは地表上の法的なものごとでの不正でしょうか?
”強く” → 何と比べて強いのか?基準は何でしょう?
”正しく” → 何と比べて正しいのか?基準は何でしょう?
”清らかに” → 何と比べて清らかなのか?基準は何でしょう?
 
ほんの少しの文章でも疑問が生じます。
曖昧で抽象的。
読む人によってどうとでも取れます。
 
こう書くと、書き手の視点の想像力が欠ける、
といったことを言われるのでしょうね。
 
書き手の気持ちを汲んで欲しいなら、
曖昧な表現は避けて直接的な表現をするべきです。
 
そもそも、どんなに似たような境遇で育ったとしても、
誰一人として同じ人はいないのですから、
全て同じ様に考えることが出来る人なんていないですよ。
結局は自分の立ち位置で解釈するだけで、
全ての人は自分にとっての鏡なのです。
自分の考えを理解しろなんて傲慢にも程があります。
 
誰よりもと言った時、どうやってそれを比べるのでしょうか?
優劣はどのように付けますか?
正しい生き方というのは書き手にとっての正しい生き方であって、
人それぞれの正しさは違います。
誰かの不正を見つけ出してノーと言うのでしょうか?
自分は不正を行なわないという意味のでのノーでしょうか?
両極あるので、両方の意味に受け取れますよね。
強さ、正しさ、清らかさ、
これらは人によって解釈が違いますよ。
 

みんながこの方法を実践すれば、

世界は平和になり、幸せになるんだ!
というような考え方はまた別の支配なんですよ。
 
 
よくよく自分の立ち位置を確認して下さい。
お前らのせいで新しい時代がやってこないじゃないか!
なんていう気持ちがあるのなら、
それは支配者層と同じ思考パターンに陥っていますよ。
 
追従する人達というのは、盲目的で思考を放棄しています。
 
 
自分自身を、他所へ追いやらないように

冬至の日以降では、
何を言ってもどうにもならない
可能性が高いということで、
今のうちに幾つかの注意点を、
再度、取り上げてみたいと想います。

この10月からアセンション計画の人事異動により、
私の担当部署が変わることにより、
このブログの更新もほとんど無くなります。

私個人として、悩みに悩んだ末に、
心を鬼にして、このまま、
フェイド・アウトするかもしれません。

憑依について触れるのは、今回が最後にしますが、
去年の10月あたりから、ブログ閲覧者の方もかなり増え出し、
ほんの4-5人ほどですが、ストーカーの方も現れました。

共通点としては、内なる声なのか、何らかの声なのかが、
「Kagariに会いに行け」だとか、強引にKagariの元へ行かせるように、
何度も、仕向けられるのだそうです。

ここで、さらに、共通して云えることが、
自己抑制が利かないということです。

これも、度々、申し上げてきたことですが、
常に、自分自身の中心軸を保つということが大切です。

上記の例は、完全な憑依であり、
自分自身というものが、何処か、他所へと行ってしまっています。

常識的に思考しても、
ものには順序というものがあると想うんですよね、
相手の顔も何もわからないのに、
好きになれるかどうかもわからないわけですから、
一方的な気持ちを押し付けるだけで、
相手の立場を考えられないというのは、
思いやりや優しさに欠けていると想えてしまいますし、
そんな人と仲良くなりたいと想えるでしょうか。

一般的に生活していたら、当たり前だと想いますけどね。
このような偏った内容のブログだからかもしれませんし、
ほんの少しの、極端な例だとは想います。


あの人がこう言った、この人がこう言ったではなく、
自分自身がどうありたいのか、です。

自分自身というものの、本音、直観、意思、気持ちというものを、
蔑ろにしてはいけないです。

誰か他の人がこのように言っているからといっても、
いちいち、誰かの意見に振り回されてはいけないです。

例えば、スピリチュアルなことに関して、
様々な方が色々なことを言っていて、
それでいて、目に見えない霊的なことですから、
分からないことだらけなのはよく分かります。

その、ある疑問について、10人の方に聞いてみて、
賛否両論、5分5分に意見が分かれたら、どうしますか?

最終的な判断は、自分自身しかいないでしょう。

霊格の高い方が、アクセスしている場所が、
高次元領域ではあっても、
どの領域にアクセスしているかによって、
様々な観方が生じます。

その様々な観方は、物質面、霊的な側面を、
多角的に観るための数多なサンプルです。

霊格の高い方々は皆様、私たち一人ひとりの
自分自身の中に内なる神、救世主を見出すための、
ヒントとしてお伝えしているのに過ぎないのです。


ここら辺で、そろそろ、意識と周波数を上昇させることにより、
霊的な眼を開いていく努力を実行・実践していきましょう。

それは、私自身においても、常に、学びを続けていることであり、
どれだけ、自分自身に対して真剣に向き合っているか
ということが求められると想うのです。

時間がないんです、本当に…

皆様、お互いに、最善を尽くしましょう。
 
 
”あの人がこう言った、この人がこう言ったではなく、
自分自身がどうありたいのか、です。
自分自身というものの、本音、直観、意思、気持ちというものを、
蔑ろにしてはいけないです。
誰か他の人がこのように言っているからといっても、
いちいち、誰かの意見に振り回されてはいけないです。”
とあります。
 
こういった他者の意見もまた鏡なのです。
自分はその意見を聞いてどう感じたの?と、
自分と向き合わなきゃいけないんですよ。
誰が何を言ったとかは関係ないですし、
拡散しようとか?全く見当違いな行為ですよ。
他人の意見を鵜呑みにした上に、
他者をコントロールしようとしていますから、
他人軸ですよね。
 
 
自身が見えないという「灯台下暗し」

先日、いま・この時代は、誰もが、
超能力者的、霊能力者的な水準域に、
霊性を覚醒させることが容易いということを書きましたが、
これにも、多くの危険性と隣り合わせであるということを、
注意点として申し上げておきます。

精神世界と呼ばれるようなジャンル、
スピリチュアル的な世界に興味を持たれる方の多くは、
あまりにも、自分自身が何処か他所へと行ってしまい、
中心軸にしっかりと定まっていないということが多過ぎると想います。

私が、自分自身ということについても、
何度も繰り返し書いているのには、
相変わらず、そのことが全くわかっていない方が、
メールを送りつけて来るからです。

自分自身が全く観えていない人は、
それが、自分自身のことであると気づけないし、
自分自身が憑依されていることにも、
全く気づけないわけです。

自分自身のことであるはずなのに、
一番、自分自身を疎かにしているというのは、
本末転倒であり、言語道断ではないでしょうか。

そのような状態でいたのでは、いつまで経っても、
自分自身が誰であるのかを知ることも、探し出すことも出来ないし、
内なる神へ到達することなどは、ハッキリ言って無理です。

このような方々は、アセンションしたいと想われていたとしても、
アセンションすることも、ハッキリ言って無理です。

また、私は先日、この1年間の中で、
ストーカー的な方も何人か現れたと書きましたが、
これは本当に洒落にならないというか、
モダン・ホラー作家のスティーヴン・キングさんの小説に
よく描かれているような、サイコ・サスペンスの世界です。


インターネット上で、ネット・サーフィンが
好きだという方は多いでしょうし、
様々な情報が容易く得やすいことは
ありがたいことかもしれません。

しかし、自分自身を中心軸に置いて、
多角的な視野を持つことを学ばなければ、
多くの情報に翻弄されるばかりで、
情報の波に埋もれていってしまい、
多くの情報操作にも気づけず
情報の奴隷と化してしまいます。

自分自身が主であるはずなのに、
情報のほうが主になってしまいます。

インターネットの情報を見て、例えば、
ここでは、スピリチュアルな情報を見て、
その美しく麗しい言葉のオンパレードに、
感情移入し過ぎてしまい、我を忘れるということの状態の頻度が、
あまりにも過剰になり、中毒症状を起こしているのでしょう。

このことと、麻薬中毒症状とで、
大して変わりはないのではないでしょうか。

このブログについていえば、“Kagariさえも疑え”
ということなのです。

私は、このブログを閲覧してくださる多くの方は、
良識があり、まともな方々だと想っているからこそ、
丁寧、丁重な言葉で書いているのに過ぎず、
実際のKagariはとても優しく、怒ることなどないと
想われているかもしれません。

しかし、普段は、「てめえ、このやろう、しばくぞ」の
オンパレードであるかもしれないですよ。

実際に、送られてきたメールを見て、こりゃあかんわと想って、
「ばかやろう」と一言だけ返信することも多々あります。
(汚い言霊を使ってごめんなさい)

その辺りも含めて、霊的な眼を持って、よく見抜かれたら如何でしょうか。


私は度々のように、天使界の住人の話をします。
そのことが、あなたを自分自身から逸らさせる原因でしょうか。

それは、責任転嫁をしているのに過ぎないのではないでしょうか。

私は常に、検証してください、何度も何度もよく
確認作業をしてくださいと申し上げております。

そうでないと、幽界の悪霊や低級霊の類が、
天使のフリをして、さも、きらびやかに、光輝いているように、
巧妙で鮮やかな物質化現象を見せて、あなたを騙し続けます。

天使界の住人たちや、善なる高次元の
スピリチュアル・ガイドたちと接するときにおいても、
常に、自分自身を中心軸に置いて、
それらが、どういった存在であるかを、
霊的な眼で見抜けなければ、大変な目に合います。

スピリチュアルな世界は、相当に危険な世界で、
遊び半分、興味本位で近づいてはいけないということは、
多くの霊格・人格の高いスピリチュアルの師や先輩方が、
伝えてきていることではないですか。

スピリチュアルな世界の道を貫くことは、
相当に、ハードで、へヴィなことで、
浮ついた気持ちで接していると、いつ、
生命を取られるか、精神異常にさせられるか
わからないのですよ。

血へどを吐いて、ぶっ倒れるぐらいでは済まなくなりますよ。

これは、私自身の実体験からお話しております。

そのような酷い目に合わないようにということで、
だからこそ、自分自身をしっかりと持っていないといけない
自分自身を中心軸にしっかりと置いていないといけない
ということを言っています。

自分自身を中心軸に置くことを疎かになりがちになる、
精神的に、情緒不安定なときは、特によく注意してください。
多くの場合、そのときによく、憑依の対象に狙われています。

心を、強く持ってください。
 
yutakaという人は、
悪性のネガティブなマインドコントロールに掛かっていますので、
光のネットワークに繋がっていないですし、
発信内容に天意もないですし、
この人のチャネリングというのも正しく繋がっていないので、
何者のメッセージなのかは分かりません。
(恐らく本人の考え)
天使界も天上界も菩薩界も知らないと言っています。
こういう人を鵜呑みにすると、周波数を合わせることになるので、
自分自身もどんどん堕ちて行きます。
感情移入をするのはやめましょう。
 
せっかくこちらのブログに辿り着いたのですから、
考察してみたり、内観してみたりして、
自分自身を観察して下さい。
 
 
「傷つく」ことを怖れてはいけない

自分自身の感情や心が、
「傷つく」ということを怖れて、
二の足を踏み出せないことが多くあります。

こういうことを言ったり、行なったりしたら、
自分自身が、もしくは、相手が「傷つく」のではないかと。

その傷を背負いたくないがために、
臭いものに蓋をして、閉じたままにしておいたり、
事なかれ主義ということで、何事も無かったかのように、
見て見ぬ振りをしてしまいます。

身の危険を観じているのに、
無理にでも干渉しろというわけではありません。

そうでないのであれば、
ちょっとしたことで心が「傷つく」ということを
避けているのは、自らの手によって、
進化、進歩、変容を止めていることになります。

私がこのブログ上において、光の住人たちだけでなく、
闇の住人たちに対してまで、厳しいことを書いてきて、
そのことで、私自身が何らかの非難を浴びようとも、
憎まれようとも、嫌われようとも、一向に構わないのです。

(しかし、相当な覚悟をしておいてほうがいいでしょう…)

私は、霊的に、非常に敏感ですから、
生霊や邪気、邪霊の類が、四六時中、
いっぱい飛んでくるのがわかりますし、
それらの処理に忙しかったりもしますが、
それでも、一向に気にしないのです。

しかし、それ以上に気づかされることが多いのです。

それは、魂同士が切磋琢磨しているようなものです。


「傷つく」ということは、“気づく”ということに繋がります。

「傷つく」という、一見、
辛くしんどいことのように想われることが、
私たちに“気づき”をもたらします。

今まで、気がつかなかったことに、目を見開かされます。

また、「傷つく」とは、“魂を磨く”ということに繋がります。

魂を、丸く大きくて透明な水晶玉だとイメージしてください。

心や魂が、ネガティヴな感情や想念によって、
酷く汚れていますと、水晶玉は曇っていて、
くすんでいて、中がまったく観えません。

「傷つく」とは、この魂の水晶玉を、
傷をつけて、磨いていく作業です。

「傷つく」ことによって、心や感情に与えられる負荷とは対称的に、
魂のほうは、段々と磨かれてゆき、輝きを増すということになります。

つまり、それは、魂の浄化に繋がるということです。

この「傷つく」ということを怖れなくなれば、
あなたは、全宇宙における、魂の、
永遠進化の道に正しく入った、ということになります。

その後で、疲弊してしまった、あなたの心と感情とは、
大変だったねということで、自分自身に対して感謝をして、
しっかりと、リラックスさせてあげてください。
 
 
約3000億年という宇宙の始まりから、
その後に生まれた私たち生命体の旅は、
果てしなく永い旅路ではあります。
宇宙の進化の道程における、
私たち生命体の、究極の役割と云えば、
“闇を光に変換すること”です。
 
ですから、人はなぜ、生きているのか、
人は何のために生きているのか、
といった問いに対する究極の答えは、
“闇を光に変換すること”です。

このことは、過去・現在・未来のどの時間軸、
空間軸を選ばず、すべての時空において、私たち生命体の仕事です。

私たち生命体は、そのようにして、
宇宙の進化の旅を続けてきましたし、
これからも、何ら変わることはありません。
 
地球のこの時期には、アセンション計画を手伝うために、
多くのワンダラーやライトワーカーたちが、
お手伝いに来ていることが知られています。

彼らは、3次元物質界の
輪廻転生システムの呪縛に嵌まってしまい、
メビウスの輪から逃れられなくなってしまっている
多くの魂たちを目覚めさせ、
さらには、ライトワーカーとしても覚醒させようと、
昼夜、暗躍しています。
 
このライトワークというものの在り方について、
どのようなイメージとして捉えることが出来るでしょうか。

そのヒントは、自然界の植物種にあります。
植物種の多くは、光合成という働きをすることが知られています。
 
植物種の行なう光合成は、大気中の二酸化炭素を吸って、
私たちが生きるのに必要な
炭水化物や酸素を放出しているわけですが、
このことがまさに、ライトワークそのものです。

これを、私たち生命体に置き換えるのであれば、
ネガティヴ想念を吸って、
光の想念を放出するということになるからです。
 
植物種はこのことを、何の躊躇もなく、
愚痴をこぼすこともなく、ただ坦々とこなして生きています。

ですから、私たちのライトワークは、
これら植物種の姿をお手本にすることが出来ます。

義務感や、嫌々ながら仕方無く行なうのではなく、
息をする、呼吸をするかのように自然に、
雑念がなく、何気なく行なうことが、
ライトワークにおける相応しい在り方だと云えるでしょう。
 
”ネガティヴ想念を吸って、
光の想念を放出するということになるからです。”
とありますが、
これも転換するということになります。
 
 
「宇宙の羅針盤・下」(辻麻里子著)では下記の様な説明があります。
 
「そして、最後のパターンは
光の世界だけにフォーカスして
闇を認めず、
ゼロポイントを見失ってしまうことだ。

光の世界だけを見ようとするのではなく、
光と闇を掌握してゼロポイントを保つこと。

これはとても重要だ。

しかし、
ゼロにとどまり続けるのではなく、
再び旅立ち、
またゼロポイントに戻ってくることが大切なのだ。

自分のなかにも
闇があることを認めないかぎり、
宇宙の創造に加わることはできない。

誰でもない、
自分自身で在り続けるために、
人は光と闇を統合し続ける。

光だけの世界というのもまた、
詭弁であることを憶えておきなさい」
 
闇を排除する、なくすのではなくて、
統合しつづけるんですね。
なくならないのです。
 
 
負の連鎖を解き放つ

人は1日のうち、約90~95%は、
否定的な思考に陥っているといいます。

自己啓発セミナーや、ワークショップ
などに参加しているときは、
気分的にもポジティヴになっていますので、
何の問題もないのでしょうが、
そこから1歩離れて、翌日にでもなると、
昨日のことはどこへやら、
また普段通りのネガティヴ思考に
逆戻りしている方は多いのではないでしょうか。

否定的な思考が頭をよぎったら、
とにもかくにも、「いや、それは違う」と
その否定的な思考そのものを
頭の中から振り払うことです。

「いまの否定的な思考は間違いで、
本当はもっと、こんなに幸せです」
と、180度肯定的な思考に置き換えることです。

常に自分自身と向き合うように、
これを行ないます。これは、
訓練として行なったほうがよろしいかと想います。

常に否定的な思考へ向かおうとする傾向が、
地球人類のDNAにインプットされているのでしょう。

そのDNAの否定的なインプットを切替える、
そのネガティヴなプログラムを解除しなければなりません。


例えば、マスメディアでは、毎日のように
ネガティヴなニュースが溢れています。

あなたがそのニュースを目に、耳にして、
ああ、何てかわいそう…、などと同情心を抱くことが、
善人の証であると想ったりしてはいませんでしょうか。

あなたが、それらのネガティヴなニュースに
焦点を合わせれば合わせるほど、
ネガティヴなニュースの基になる、
悲惨な事故や事件は、ますます増えていく一方で、
決して、それらが無くなることはないでしょう。

あなたが本心から、それらの悲惨な事故や事件が
減ってほしい、無くなってほしいと願うのでしたら、
逆に、幸せなこと、楽しいこと、嬉しいことを考えてください。

あなたが、ネガティヴなニュースを見たり、聞いたり、読んだりしたとき、
そこには、こんなメッセージがあるのだと理解してください。

わたしたちに焦点を合わせないでください。
わたしたちの真似をしないでください。
わたしたちの二の舞にならないでください。
わたしたちのように、同じ過ち、間違いを繰り返さないでください。

あなたは、ネガティヴなニュースから、
これらのメッセージを感じ取り、
即座に、思考を肯定的に切替えたほうがよろしいでしょう。

そして、明るく、ポジティヴな、幸福な気持ちを少しでも多く抱き、
あなた自身の心と魂の中から発信することが、
世の中、世界に、あなたの周囲に光を送ることであり、
悲惨な事故、事件、その他のネガティヴなニュースを
減らしてゆく、無くしてゆくことの救いの矢となります。

それはさながら、天使たちのお仕事の手伝いとなり、
光の役割となります。

そんなあなたを見て、天使たちも喜び、
必ずや、あなたのもとに、多くの幸せを運んでくることでしょう。
 
悲しんでいる人を見た時に、
寄り添って一緒になって悲しんであげるのが愛だ!
みたいな考えをする人達が、
光側で善なのだと思い込んでいる場合もありますが、
そういった行為は闇を後押ししている様なものです。
何の救いもありません。
これも鏡なので、自分が辛い時に、
同じところまで降りてきて一緒に悲しんで、
慰めて欲しいと思っているんですよね。
足を引っ張る行為です。
 
もし相手のことを本当に信じているのなら、
そんなことはしませんよ。
私なら、同調せずに、でも良かったねと、
切り換えます。
それでもグダグダ言うなら距離を置きます。
その人が悪い事だと考えているのは、
偏った見方しか出来ないせいです。
宇宙法則から考えれば、
両極あるのですから、
悲しいという見方とは別の、
正反対の見方もあるのです。
それを見つけ出すのが、
霊的な学びであって、
同調して傷を舐め合うのは、
優しさでも愛でもありません。
 
そうやって足を引っ張り合って、
堕ちるところまで堕ちるのもまた、
ネガティブなコントロールから抜け出せないせいです。
様々な角度から考察する癖をつけて、
視野を拡げていきましょう。
毎回毎回同じパターンに陥っているのが分かりませんか?
何かの言葉を聞くと条件反射で同じ反応をする。
ずっとループし続けていますよね。
それで本当にいいのでしょうか。
 
 

LACUNA COIL 「Trip The Darkness」