祝✿高須克弥先生(79)再びご生還!
 高須克弥院長は癌と闘いながらブログやX(ツイッター)を更新している、ブログの写真では明るくビースサインをしているが、本当は辛くて大変なんだろうなと思えば涙を禁じ得ない。(T_T)
 三河湾に面した漁港のある愛知県西尾市一色町出身で昭和大学医学部大学院卒の医学博士である院長は以前からブログをやっていたが、全身に癌が転移してゆっくりと死んでいく状態だと自らブログで公表し、その後も闘病生活をブログやX(ツイッター)で綴り続けて公開している、しかしもう何回目の手術になるのだろう?。
 高須家のご先祖様は明智光秀が起こした本能寺の変で徳川家康公が滞在中だった大阪堺から少数の供を連れ伊賀越えをして命からがら居城の岡崎城に逃げ帰る際に
 舟で三河湾を渡り一色町に上陸した家康公の手当をして、「高須」の苗字と庄屋格、家紋などを許されたという由緒正しい一族で三河に栄えた代々医者の家柄。
 院長は昭和20年(1945年)に自宅の庭に掘られた防空壕で生まれ、父親が40歳で亡くなった為に小児科医だった祖母に育てられる、一家は戦後の農地改革で財産の大半を失ったがそれでもまだ裕福だったらしい。
 医師免許をとると一族の医者と被らない整形外科を選んで、ドイツやイタリアに留学して最新の医療技術を学び整形外科医として病院に勤める
 高須院長は美容外科医やタレントとしてのイメージが強いが、1974年に一色町で医療法人の福祉会「高須病院」を開設し、今では病院だけでも職員700人余を抱える、そして関連事業として老人介護施設「高須ケアガーデン」やグループホーム、訪問看護ステーション、デイケア、ヘルパーステーションも経営する
 ごく普通の医者だと本人は主張するが、名古屋市で整形外科の高須クリニックを開き、早くて簡単な独自の手術法を編み出して包茎手術をするのが当たり前という宣伝して流行らせ、その後も二重まぶたの簡単な手術法などを考えて美容整形外科として成功、今では東京銀座院、名古屋院、名古屋栄院、大阪院、という5つのクリニックを持つ
 家庭的にも18歳で知り合った三河出身の医者の娘で昭和大学で机を並べた夫人(高須シヅ)と3人の息子に恵まれ、2010年に夫人と死別した後は漫画家の西原理恵子と事実婚をしている
 芸能人や有名人の手術をたくさん手掛け、総合格闘技K-1のリングドクター、国際美容外科学会会長および日本美容外科学会会長も歴任するなど
 名実ともに成功者となった高須院長だが、生来の目立ちたがりやなのか、篤志家としてあちこちに多額の援助や寄付を行い政治活動までして注目された。
 癌告白や闘病生活の公開には、怖くない癌との付き合い方を身をもって世に示そうという高須院長流の医者としての気概や矜持を垣間見る思いがして、最期まで見守って応援したいと切に願うしだいです。