★誕生日は両親へ、感謝状を添えて
授かり物のからだという器を借りて私は生きている。
まぁあくまで思想的なものだけども、小学生の頃からこんな感じだから、個人的なスタンスは崩れないだろう。
そしてその器にどれだけのものを入れることができるのか。
言い換えるならどれだけのものを、受け入れらる大きな、また広い器をつくれるか。
そして、それはあくまで第一歩にすぎない。
そこから波及させて、人につたえること。
使命でもなんでもない。
ただ、持っている視点は十人十色より多い。自分が間違っていることも多いだろう。
でも、「気づけるポイント」を与えて、後の判断はそれぞれが必要な部分だけ吸収すればいい。
相乗効果であることには変わらないかと思いますがいかがでしょうか。
ここで異見をもらい気づくことも、大きなこと。素直に受け止めなければ損。
不変的なこと。
授かり物の私のからだは、神とか仏にもらったものじゃない。
どうあがいたって、父親と母親から頂いたものだ。
来週誕生日を迎えるが、最近思うようになったのは、誕生日は祝ってもらうものではなく「両親に感謝すべき日」なのかなと。
その前に敬老の日があるね。
じいちゃん、ばあちゃんがいなければ、もちろん自身はここにはいない。
じいちゃんは同じ世の中にはすでにいないが、それでも与えてくれたものは大きかったし、それが今でも私を成長させてくれているということは、少からず彼は私のなかで生きている。
心のなかで、人の魂のなかで生きる。
それが彼から頂いた1つの気づきであり、生き方の根幹の1つのです。
何がきっかけだったろうか。
地球が生まれた宇宙(そら)や命の誕生した海に憧れを抱いたのは。
でも、生まれた場所に還ろうとするのは、本能なのかもしれないな。
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