言葉にならないうめき | バルタンセブンのブログ ものみの塔 JW.org という霊的地所から

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聖書を研究し、預言の言葉を最新のものにするための場です。大患難までに油を蓄えておきましょう。マタイ 25:4

125日 今日はヨハネ1324以降を扱います。

 

イエスが言われた裏切りは、「そのうち・・・」とか、「いつか・・・」というレベルのものではなく、まさに「今日、これから・・・」のレベルまで迫っていると感じたのでしょう。それで、イエスの親衛隊長を気取っていたペテロは、イエスのすぐ隣にいたヨハネに合図しながら、「だれのことを言っておられるのか話しなさい」と指示を出しました。それで、全く同感だったヨハネは、「主よ、それはだれですか」とイエスの胸元にそりかえって尋ねます。「胸元にそりかえって」という部分を他の聖書訳で見ていると、「胸によりかかって」「胸もとに寄りかかったまま」という表現が見られます。つまり、イエスの胸側とヨハネの背側がかなり接近して向き合っていたようです。これらの文章の内容から見ても分る通り、彼らはどちらかのわき腹を下にして寝椅子に横たわって食事をしていたことが明らかです。日本人の私たちには馴染みがありませんが、この方式は当時のユダヤ人の普通の食習慣だったのでしょう。「偉大な人」の書籍の114章の挿絵にあるように、コの字型だったのかは分かりませんが、明らかに世の有名な宗教画の「最期の晩餐」にでてくるようなイスとテーブルスタイルではなかったことが分かります。ちなみに、新改訳聖書ではこの部分を、「右側で席に着いたまま」と訳しているので、その影響を受けていそうです。しかし新改訳は、23節の「懐の前に」を「右側で」と訳しているので、イエスが左わき腹を下にしていたことが分かります。

 

これに対してイエスは、「私が一口の食物を浸して与えるのがその人です」と答えられますが、そうしてイエスは、一口の食物を浸してから、それを取ってシモン・イスカリオテの子ユダに与えます。しかし、ここで問題になるのは、ユダがこの時どの場所に陣取っていたかです。もし、イエスから離れていたなら、イエスは席から立たれ、浸した食物を持ってユダの場所にまで歩いて移動したことになるからです。ぶどう酒の滴るパンを片手にそれはありえないでしょう。したがってユダは、そのパンをイエスが容易に渡せる場所にいたことになるのです。それはつまり、イエスのすぐ背後です。おそらくこの場所も予めイエスによって定められていたのでしょう。ところが他の福音書筆者は、イエスが自らユダに浸したパンを与えたことを伏せています。その代り、「私と一緒に共同の鉢に手を浸している者」あるいは、「私と一緒に手を鉢に浸す者」と記されています。ヨハネの書には、1318に詩編419の成就のことが記されていますが、マタイにもマルコにもそれがないので、「鉢に手を浸す」という語句によってそれを表現したのでしょう。したがって「鉢」とは、堅いパンを手で一口ずつちぎってぶどう酒に浸して食べるこの地方の食文化を象徴しているのでしょう。「共同」とあるのは、パンが共同であるように、鉢に入った浸すぶどう酒も共同で用いたのでしょう。それでも、彼らがここで「パン」とか「ぶどう酒」という語を使わないことにこだわったのは、記念式のパンとぶどう酒とは全く別の物質、むしろ餌としての食物であることを強調するため、そしてイエスに対する深い敬意からでしょう。

 

それにしても、なぜ他の福音書筆者たちは、イエスご自身が浸した食物をユダに与えた事実を伏せているのでしょう?

それは、あまりにも衝撃的だったからでしょう。イエスはこれらのやり取りをひそひそ話されていたわけではないでしょう。さらに、一口の食物を浸して与えられた者が裏切り者であると言われた後、まさにその一口をユダに、みんなの見ている前で与えたのです。客観的に判断するなら、だれがどう見てもユダが裏切り者であることは否めません。その証拠に27節には、「その一口の食物を受けたあとすぐ、サタンがその者に入った」とあります。ユダにとってその状況は、体じゅうの穴という穴すべてから高温の蒸気が噴き出すほど怒りが爆発したはずです。ところがどうでしょう? イエスがユダに、「あなたのしている事をもっと早く済ませなさい」と言っているにもかかわらず、28節には、「しかしながら、食卓について横になっていた者のだれも、何のために彼にこう言われたのか分からなかった」とあります。この時彼らは、皆が、「まさか私ではありませんね」とイエスに言い寄っていることがマタイやマルコに記されています。彼らはみな、自分に明確な自信が持ててなかったのでしょう。その背後には謙遜さが隠されていたのかもしれません。そうでなければ、遂に裏切り者がはっきりしたことでホッとするはずです。

 

また、ユダがみなから一目置かれていたのは間違いないでしょう。その道のプロであったマタイを差し置いて、早い時期から金箱を管理する任務を与えられ、イエスから最も信頼されているとだれもが感じていたでしょう。イエスを挟んで使徒ヨハネの反対側の場所であるイエスの背後の座を与えられ、ヨハネと並んで最側近と思われていたでしょう。しかし、よくよく考えてみるとこの座はイエスの左側であり、ヤギの座を象徴しているのかもしれません。もちろん、そんなことは彼らにはまだ分かりません。ただ、彼らが思っていたのは、「ユダが裏切り者だというなら、その前に自分が裏切り者なのだ」というぐらいありえないことだったのでしょう。事実、彼らは29節にある通り、「祭りのために私たちが必要とするものを買いなさい」とか、貧しい人たちに何か与えるようにとイエスが命じておられるものと思っていたのです。何とポジティブに捉えていたのでしょう! 

彼らは他人を疑うより自分のことで精いっぱいだったのです。イエスのあとに追随することは、毎日が冷や冷やドキドキの連続なのです。たとえだれかが脱落したとしても、そのことを笑えないのです。裏切りにうすうす気づいていたヨハネでさえ、ずっとおとなしくしていたのは、「明日は我が身か」という教訓でもあったからでしょう。結局ユダは、一口の食物を受けたあとその場を出て夜の闇に消えてゆきます。