二つのベタニヤ | バルタンセブンのブログ ものみの塔 JW.org という霊的地所から

バルタンセブンのブログ ものみの塔 JW.org という霊的地所から

聖書を研究し、預言の言葉を最新のものにするための場です。大患難までに油を蓄えておきましょう。マタイ 25:4

88日 今日はヨハネ1039以降を扱います。

 

イエスの説明を聴いてさらに怒り、ユダヤ人たちは再びイエスを捕らえようとしますが、「彼らの手の届かない所へ出て行かれた」と記されています。彼らは大勢なのに決してイエスを捕らえることができません。どうしてなのでしょう? 言うまでもなくこれは、イエスの逃げ足がオリンピックの金メダリストより速かったというわけではありません。聖霊による完全な保護があるため、この世の時間の流れとイエスの周りの時間の流れの間に大きなずれが生じて分断されていたためでしょう。このように聖霊が係わると、人間の科学では説明のつかない現象が起きてしまいます。考古学で出土する遺跡や化石などの年代が聖書の記述と整合しないのも、すべてそれら聖霊が原因です。聖霊が係わる一日は、千年でも万年でも億年でもそれ以上でも自在に変化します。1センチ先が無限の距離にも化けるのです。本来ならこうした現象に遭遇すると、神に仕えると言う者たちは恐れを抱き態度を改めるものですが、ここでいうユダヤ人たちはそうではありませんでした。

 

エルサレムを出たイエスは、「再びヨルダンを渡り、ヨハネが初めにバプテスマを施していた所へ去って行き、そこに滞在しておられた」と40節には記されています。ヨハネ128によれば、これは「ヨルダンの向こうのベタニヤ」という場所であり、イエスがガリラヤの拠点を後にしてからは、ペレア地方での主な活動拠点となっていたところです。興味深いことに、彼がエルサレム近辺での活動時にねぐらとして利用していたラザロの家も、同名の村であるベタニヤにありました。イエスは二つのベタニヤに父の強い導きを感じておられたのでしょう。というのも、絶対に裏切らない神の僕たちがそこで係わっていたからです。優柔不断でいつ裏切るか分からない大勢のにわか信者たちの中にあって絶対に裏切らない彼らは、過酷な任務をこなすイエスに一時の安らぎをもたらしてくれたでしょう。

確かに41節にはこうあります。「すると、大勢の人がそのもとに来て、こう言うようになった。『確かに、ヨハネはただ一つのしるしも行わなかったが、ヨハネがこの人について言ったことはみな真実だった』」。

おそらく彼らは、ここでヨハネからバプテスマを受けたのでしょう。初めにヨハネを受け入れる心があって、今新たにイエスをも受け入れようとしています。これは確かにイエスの羊の兆候です。この先の恐ろしい試練に最後まで耐えられるかはまだ不明ですが、エルサレムの住民から比べればはるかに希望が持てます。

 

続く11章も何とベタニヤから始まっています。これは単なる偶然ではありません。しかも記述の内容は、マリアとその姉妹マルタの兄であるラザロが病気で危篤状態なのです。良く知られた記述ではありますが、もう一度じっくりと考察して見落としている点がないかを探ってみましょう。今週の記事は短いですが、ここで終わりとさせていただきます。