今日はルカ1:39以降を扱います。 み使いから処女の状態で妊娠することを告げ
られたマリアは、すぐに親族のエリサベツに会いにユダの山岳地方のある都市へ
と向かいます。老婆が妊娠するというのは、通常なら世間一般から見て奇妙で気
味の悪い話かもしれません。それ以前に、実際にその状態を見なければだれも信
じることなどできなかったでしょう。したがってエリサベツにとっては、妊娠の証拠
が顕著になる前に「実は、私は妊娠している」などとはだれにも言えなかったでしょ
う。
受胎後、外見から妊娠していることが分るほど腹部が大きくなるまでにはかなりの
月日がかかります。本人にはほぼ確信できていても、周りの人々を信じさせるに
は普通以上に腹部が大きくなっている必要があったでしょう。早い段階では、単な
る肥満、「ポッコリお腹」あるいは「何かの病気」と見間違われることは必至だった
からです。したがってエリサベツは、そうしたことのゆえに五か月ものあいだ引きこ
もっていたものと思われます。しかしマリアは、すぐさまそうした彼女の苦しい境遇
を察知し感情移入したことでしょう。実際、近い将来マリアの置かれようとしている
境遇も穏やかではありませんでした。処女が男との交わりなしで妊娠するなどとい
う話はこれまでに前例がありません。しかも婚約中というのは極めて誤解を生み
やすい状況で、一歩間違えば律法によって石打にされる危険さえあります。いった
いだれがそんな馬鹿げた夢のような話を信じるでしょう? 幸い婚約者のヨセフに
は夢の中でみ使いが現れて事情が説明されましたが、一般の世間に対してはそう
はゆきませんでした。マリアのほうも、受胎から妊娠の兆候が明確に現れるまで
はしばらくかかったでしょうから、マタイ1:18~24のヨセフが見た夢の記述は、マリ
アがエリサベツのところから帰ってからの、つまり三か月も後の出来事であり、こ
のため身近な人々の間では、「できちゃった婚」が噂されていたことも十分考えら
れます。結局のところマリアの奇跡的な受胎と出産は、ごく一部の親族の間でしか
知られることはなかったでしょう。したがってエリサベツとマリアには、同じ目的達
成のために神によって選ばれ、神による超常現象を経験した同志という強い意識
が互いに芽生えたことでしょう。
マリアがエリサベツのもとへ行き、挨拶の第一声を発した時、驚くべきことが生じま
す。エリサベツがマリアの挨拶の言葉を聞いた瞬間、エリサベツの胎内の幼児が
躍り上がったのです。当然のことながらエリサベツはまだマリアが聖霊によって妊
娠していることなどまったく知りませんし、それがキリストであることでさえ全く知ら
ないはずです。マリアの胎内にいるイエスの状態は、激しい細胞分裂の最中で、
まだ人間の形状にすらなっていなかったでしょう。それでもエリサベツは大きな叫
び声を上げてこう言ったのです。
「女のうちであなたは祝福された者、あなたの胎の実も祝福されたものです! そ
して、私の主の母に来ていただくこの特権が私のものになるとはどうしてなので
しょう。ご覧なさい、あなたのあいさつの響きが私の耳に入ると、私の胎内の幼児
は、歓喜のあまり躍り上ったのです。信じたその女も幸福です。エホバから彼女に
語られたそれらのことはすべて成し遂げられるからです」。
エリサベツは自分の全く知らない知識をすらすらと語っているのが分かります。そ
して彼女はこの時、自分の語っている言葉の意味を理解してはいないでしょう。こ
れらのことから、預言と聖霊の関係についての見識を一層深めることができます。
それは必ずしも自分の持っている既存の知識から語る、また、自分の意志で語る
ことではないということです(ペテロ第二1:21)。霊に満たされて聖霊によって語
る、それは、その時の地上の神の代表者を神がスピーカーとして用いるという意
味でもあります。後にそれは書に記され、すべての者が知るところとなるのです。
これはまさに霊感に属する言葉です。同じ預言でも次々に廃される部分とそうでな
い部分があり、最終的に霊による編さんによって選抜された部分が聖書となると
いうことです(イザヤ40:8 コリント第一13:8)。
出産まであと三か月に迫った胎内の幼児、将来のバプテストのヨハネも、なおのこ
と外界のことなど知る由もありませんので、あいさつの響きが何を意味するのか、
その声の主が誰の母なのか理解して躍り上がったわけではありませんでした。し
たがって、すべては聖霊の成せる業なのです。ただ、これら異常な現象が神の名
のもとに起きている事実を柔順に信じたマリアが幸福であると聖霊も言っていま
す。