今日はマルコ15:35以降を扱います。
マルコ15:35~47)・・・・・すると、近くに立っていた者の幾人かは、それを聞いて、
「見ろ、エリヤを呼んでいるのだ」と言いだした。しかし、ある者は走って行って海綿
に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の先に付けて彼に飲ませようとし、「構わない
でおけ! エリヤが下ろしに来るかどうかを見よう」と言った。しかし、イエスは大き
な叫び声を上げて、息を引き取られた。すると、聖なる所の垂れ幕が上から下まで
二つに裂けた。その時、そばで彼を前にして立っていた士官は、このようにして息
を引き取られたのを見て、「確かにこの人は神の子であった」と言った。
やや離れたところでは女たちも見ていたが、その中には、マリア・マグダレネ、それ
に小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。これらは、イエスがガリラヤに
おられた時、彼に伴って仕えていた者たちであった。また、彼と一緒にエルサレム
に来ていたほかの大勢の女たちがいた。
さて、すでに午後遅くなっており、しかもそれは準備の日、つまり安息日の前日で
あったので、議会の聞こえのよい議員であるアリマタヤのヨセフがやって来た。自
らも神の王国を待つ人であった。彼は勇気を出してピラトの前に行き、イエスの体
を頂きたいと願い出た。しかしピラトは、彼がもう死んだのだろうかといぶかり、士
官を呼び寄せて、彼がすでに死んだかどうかを尋ねた。こうして、士官から確かめ
た上で、遺体をヨセフに与えることにした。そこでヨセフは上等の亜麻布を買い、彼
を下ろしてその上等の亜麻布に包み、岩塊をくりぬいた墓の中に横たえた。そし
て、その記念の墓の戸口のところに石を転がしておいた。しかし、マリア・マグダレ
ネと、ヨセの母マリアは、彼の横たえられた所をずっと見つめていた。
この部分は、2014年8月16日、17日、18日、19日、21日、22日の記事で扱っていま
す。よろしければそちらをご覧ください。
マルコ16:1~8)・・・・・さて、安息日が過ぎた時、マリア・マグダレネと、ヤコブの母
マリア、それにサロメは、そこに来て彼に油を塗ろうとして香料を買った。そして、
週の最初の日の朝とても早く、記念の墓に来た。その時、太陽はすでに昇ってい
た。そして、彼女たちは、「記念の墓の戸口から、だれが私たちのために石を転が
しのけてくれるでしょうか」と言い合っていた。ところが、見上げると、その石は、非
常に大きなものであったのに、すでに転がしのけてあったのである。記念の墓の
中に入ると、ひとりの若者が白の長い衣をまとって右側に座っているのが見え、彼
女たちはぼう然とした。その者は彼女たちに言った、「ぼう然とすることはありませ
ん。あなた方は、杭につけられたナザレ人のイエスを捜しています。彼はよみがえ
らされました。ここにはいません。見なさい、彼を横たえた場所です。しかし、行っ
て、弟子たちとペテロに、『彼はあなた方に先立ってガリラヤに行きます。彼が話し
たとおり、あなた方はそこで彼を見るでしょう』と言いなさい」。それで、彼女たちは
外に出ると、その記念の墓から逃げるようにして走った。おののきと強い感動とに
とらわれていたからである。そして、だれにも、何も話さなかった。恐れに満たされ
ていたのである。
この部分は、2014年8月23日、24日、25日の記事で扱っています。よろしければそ
ちらをご覧ください。
さて、これにて「マルコの書」も終わりとなりました。「マタイの書」ともだぶっている
部分が多かったため、ほとんどが聖句と過去記事の紹介ばかりの内容となってし
まい、我ながら後味の悪さが残ってしまいました。また、何か分かり次第、部分的
に記事にしてみたいと思います。
次いで、すぐにでも「ルカ書」に入りたいところですが、今まで通りのやり方ではか
なり無理があるため、扱い方を少し考え直してみます。それで、まことに勝手なが
ら来週の木曜日まで記事の更新は休ませていただきます。また、物見の塔の轍を
踏まずに歩むため、彼らの何が真のクリスチャンとして間違っていたのか、欠けて
いたのか、をより深く考慮に入れながら、時間や形式にとらわれず、聖句の真意に
取り組みたいので、今後は更新が不定期になることが予想されます。その点もご
了承ください。
これまで閲覧してくださった方々には重ねて深く感謝いたします。本当にありがとう
ございました。これからも神の言葉である聖書から学び、生きる希望を見失わない
ように共に励んでいければ幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。