具体的にどんなしるしが起きるのか | バルタンセブンのブログ ものみの塔 JW.org という霊的地所から

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聖書を研究し、預言の言葉を最新のものにするための場です。大患難までに油を蓄えておきましょう。マタイ 25:4

今日は昨日の続きで、マタイ 242931 の中から結論部分を扱います。


しかしイエスは、ダニエル 121 の中にある 「あなたの民の子らのために立つ


大いなる君ミカエルが立ち上がる」 の意味として、ご自分の民に降りかかる患難


を取り除くために 「立ち上がられた」 のではありません。 むしろこの患難を通し


て民の一人一人を浄めるのが目的です。 それでマラキ 323 にはこうありま


す。 「しかし、彼の来る日にだれが忍べるであろうか。その現れる時に立っていら


れるのはだれであろうか。彼は精錬する者の火のように、洗濯人の灰汁のように


なるからである。そして彼は銀を精錬する者また清める者として座し、レビの子ら


を必ず清くする。彼らを金のように、また銀のように澄ませ、彼らはエホバのため


義にそって供え物をささげる民となるのである」。 したがって、救出されるのはそ


れを見事に征服した者たちだけです。


これらの精錬に関して、定められた 「時と法」 的清さが関係しているのは油注が


れた者たちだけです。 それゆえ啓示 112 には、「しかし、神殿の聖なる所の


外側にある中庭は、これを全くほって置き、そこを測ってはならない。それは諸国


民に与えられているからである。彼らは聖なる都市を四十二か月のあいだ踏みに


じるであろう」 とあり、人はこの間、聖霊を冒とくする以外なら、油注がれた者たち


に対するどんな罪を犯しても許されるでしょう。 しかし、その時の終了を境に、悔


い改めのチャンスが急激に消却してゆくカウントダウンの日々に入ります。 なぜ


なら、その時、「人の子のしるしが天に現れる」 からです。 どうやらすべての


人々は、この 「人の子のしるし」 が何であるかを認識しているようです。 なぜな


ら、「地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき」 とあるからです。 それ


は 1260日」 に及ぶ 「二人の証人」 が行った預言の効果でもあります。 なぜ


ら、啓示 1110 には、「これら二人の預言者は地に住む者たちを責め苦に遭


せたからである」 とあるからです。


「太陽は暗くなり、月はその光を放たず、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺


り動かされるでしょう」 という表現は、これまで人類のだれも経験したことのないよ


うな超自然的現象が起きることを表わしています。 これはかなり文字通りに近い


ものとなるでしょう。 もし人間が容易に想像でき得るものであれば、それは単なる


自然現象として人々に一蹴されてしまうからです。 想像できないからこそ、すべて


の人がこの超自然的現象を 「人の子のしるし」 と判断するのです。


またイエスはご自分のことを、啓示 2216 で 「輝く明けの星」 つまり明けの明


星(金星)であると言われました。 ですから 「人の子のしるし」 とはそれに類す


る現象かもしれません。 もちろん通常の明星では意味がありません。 「天のも


ろもろの力は揺り動かされる」 とあるので、その時、聖霊の作用によって宇宙の


重力法則が覆され、全く普通じゃない状況のもとでこの明星が突如として現れ、多


くの小惑星を伴って地球に大接近するのかもしれません。 その際、それらの星は


大小さまざまな隕石となって地球に降り注ぐことも考えられます。 また、「太陽は


暗くなり、月はその光を放たず」 とあるので、大きな火山が噴火して空が噴煙で


曇り、当然巨大地震がそこら中で頻発するでしょう。 ルカ 212526 ではこれら


に加え、「地上では、海のとどろきとその動揺のゆえに逃げ道を知らない諸国民の


苦もんがあるでしょう。同時に人々は、人の住む地に臨もうとする事柄への恐れと


予想から気を失います」 とあり、3.11東北巨大津波を遥かに上回る巨大津波が


隕石や地震によって引き起こされ、世界中の平野部に当たり前のように押し寄せ


てくるでしょう。


そしてイエスは、「大きなラッパの音と共に自分の使いたちを遣わし、彼らは、四方


の風から、天の一つの果てから他の果てにまで、その選ばれた者たちを集めるで


しょう」 とある通り、ご自分の民を安全に逃れさせるため、「四方の風」 つまり全


地球的規模のその超常現象の最中、かつて、ネブカドネザルの指示によって七倍


に熱くされた炉の中に投げ込まれた三人のヘブライ人を、み使いによって全くの無


傷で守られたように、このたびもみ使いを用いて奇跡的に彼らを保護されるでしょ


う。 まさにこれが一般に 「ハルマゲドン」 と称されている 「エホバの大いなる日


の戦争」 のことであり、ここでは一方的に 「選ばれた者たち」 を招集する一面し


か扱われていません。 マルコ 1327 では、「地の果てから天の果てまで」 とな


っており、「地」 的な部分の招集も記されています。 ルカではこの部分が無くて、


代わりに 「しかし、これらの事が起こり始めたら、あなた方は身をまっすぐに起こ


し、頭を上げなさい。あなた方の救出が近づいているからです」 となっています。


「大きなラッパの音と共に」 というのは、テサロニケ第一 416 にある 「主ご自


身が号令とみ使いの頭の声また神のラッパと共に天から下られると」 という部


分、コリント第一 1552 の 「最後のラッパの間」、啓示 1115 の 「第三の災


い」 を告げる 「第七のラッパ」、これら三つと全く同様のラッパのことです。