血に関する大いなる矛盾に対するイエスのツッコミ | バルタンセブンのブログ ものみの塔 JW.org という霊的地所から

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聖書を研究し、預言の言葉を最新のものにするための場です。大患難までに油を蓄えておきましょう。マタイ 25:4

今日はマタイ 1227 以降を扱います。 「そのうえ、仮に私がベエルゼブブによ


って悪霊を追い出すとすれば、あなた方の子らは誰によってこれを追い出すので


すか。このゆえに、彼らはあなた方を裁く者となるでしょう。しかし、私が悪霊たち


を追い出すのが神の霊によるのであれば、神の王国は本当にあなた方に及んだ


のです」。 イエスはここでパリサイ人たちの言い放った言葉の決定的な矛盾にツ


ッコミを入れておられます。 それは彼らが 「悪霊を追い出せるのは悪霊たちの


支配者以外にはない」 と言ってしまったからです。 ここで問題になっているの


は、「~以外にはない」 と言ってしまったことであり、最高権力者には部下を追い


出す権限がないと言っておられるわけではありません。 ある種の特殊事情によっ


てはそうしたことも起こり得るからです。 しかしそうした矛盾が日常的になってい


る時、その王国は立ち行かないのです。


最近の物見の塔組織では、これに良く似た状況が見られるようです。 輸血拒否


の扱いに関して聖書の原点に戻るのではなく、更なる迷宮に突入してしまったよう


だからです。 一度口から出てしまったものは、それを撤回し、謝罪して間違い部


分を正しておかなければ、二度と元には戻れません(ヨブ426)。 自分たちの代


では何とか誤魔化して逃げ切っても、後の代には耐え難い負の遺産を残すことに


なり、彼らは自分たちの失敗ではない重荷を生まれた時から負わされることになり


ます。 これが果たして聖書が教えているところの愛でしょうか? では、ここに 


「互いの罪を許し合いなさい」 という原則を適用できるでしょうか? とんでもあり


ません。 罪を許すとはその隠蔽を容認することではなく、その罪を明らかにして、


悔い改めたなら、それを許すということです(ルカ173 マタイ181517)。 彼ら


はイエスが行ってくださった業の意味を全く理解していません。 彼は自分の犯し


たのではない、全く関係のなかった罪に関して、神と隣人の益のためにご自身が


全部を背負って死なれたのではなかったでしょうか。 それによって、エデンでの失


敗は帳消しにされ、それによって、現在私たちが得ている許しと祝福があり、それ


によって、私たちは神の愛を知ったはずなのです。


わたしの知る限り、聖書の血に関するほぼ正確な理解は 「エホバの証人研究」


サイトさんの血に関係する記事で既にかなり前に公表されています。 これだけの


理解は聖霊が働かない限り出て来ません。 明らかにイエスは 「公正とは何かを


諸国民に明りょうにし、それを成功裏に送り出すため」 ご自分の霊の幾らかを、


その公正の能力を持つ者に与えて、物見の塔の間違いを正すために活動してお


られたことが分ります(マタイ121820)。


「動物」 と 「人間」、また 「生きた魂」 と 「死んだ魂」 では、同じ血でも聖書で


いうところの 「血」 と、単なる 「血液」 という全く異なった意味が存在していま


す。 物見の塔ではこれらを全部ごちゃ混ぜにして一つの 「血」 と解釈して教理


を作っています。 こんな重要な部分を霊によるのではなく、極一部の堕落した人


たちの単なる思い付きによって主要な教理に定められてしまったことにそもそもの


パン種がありました。 ですから、例えかなりの犠牲を払っても、この原点部分から


すべてを変えて行かない限り、すでに起きているように、この組織の支配者たちは


「彼らの子ら」 つまり信者たち、およびその関係者たちからさえ裁かれ、今後の発


展は見込めないでしょう。 それを素直に認めて教理の矛盾を修正できた時に始


めて 「神の王国は本当に彼らに及んだ」 ことになります。


それで 29節にはこうあります。 「まず強い人を縛ってからでなければ、どうしてそ


の強い人の家に侵入してその人の家財を奪えるでしょうか。縛ってから、その家の


物を強奪するのです」。


「まず強い人を縛る」 とは、影響力の大きい間違った教理の原点部分から解決す


るという意味でもあります。 ですから末端の枝葉の部分だけを誤魔化して修正し


ても何の解決にもなりません。 確かに彼らはこの度の輸血問題の変更に関し


て、原点である血に関する聖書の独自の解釈はこれまで同様全く変えず、すべて


を人命救助が仕事である医者の強姦罪のせいにして幕引きを図ろうとしているよ


うです。 これではイエスをベエルゼブブと呼ばわったパリサイ人となんら変わりあ


りません。 このままでは彼らも同様ゲヘナの裁きを免れないでしょう。 つまり強


い人である彼らがイエスに縛られて火の燃える湖に投げ込まれるのです。