昨日の続きでマタイ 6:9~15 をよく見ると、この祈りが個人的な祈りの形式になっていないことが
分かります。 それはすべて 「私たちの~」 という言葉で統一されているからです。
それでこの祈りの 11~13 節で、個人的な祈りの部分とされている四番目から六番目の祈りは、
本当は個人のためだけではなく、個人が自分を含めた仲間全体のために祈り、さらにまだ仲間にな
っていない諸国の人々に対しても気遣う祈りだということが分かります。 この事はイエスの教えの
最重要部分である、「私があなた方を愛した通りに、あなた方も互いに愛し合うことです。 あなた方
の間に愛があれば、それによってすべての人は、あなた方が私の弟子であることを知るのです」 と
いうヨハネ 13:34,35 の聖句と全く調和しています。 「それによってすべての人は」 というの
はクリスチャン以外の全ての人々の事であり、「弟子であることを知る」 というのは、弟子たちの愛
から受ける良い影響のことを暗示しているからです。 それはマタイ 6:12 で、「私たち」 といわれ
ている仲間に、「「負い目のある人々」 といわれている諸国の人々を、「これから許します」 ではなく
「許しましたように」 とあるように、既に許した後で、「私たちの負い目をもお許しください」 と初めて
自分たちの許しに関して神に近づけることを意味しています。 つまり 14,15 節にある通りクリス
チャンは自分たちの仲間内の問題を許してもらう前に、諸国民との問題を許していなければ祈りは聴
いてもえらえないことが分かるのです。
そもそも個人個人の弟子たちがバラバラなことを祈っていて、その祈りが全部聞かれるというなら矛
盾が生じてきます。 戦時中のクリスチャンがそのいい例ではないでしょうか。 敵味方に分かれたそ
れぞれの国家の中で、それぞれが自分の国の勝利を祈り求めても、その祈りが神に聴かれるはず
がありません。 そこである人にはこんな疑問が湧いてくるかもしれません。 「神が造った矛と盾を
勝負させたなら、一体どっちが勝つのか?」。 そもそも神がお創りになる物には全て目的があり、
それを超えるものを作ることは誰にもできません。 またすべてが聖霊によってできていますので、無
限のパワーを持つ聖霊同士をぶつけ合うのは何の価値もない聖霊の無駄遣いに過ぎません。
矛には攻撃の目的があり、盾には防御する目的があります。 したがってもし神がそれらをお創りに
なるとすれば、そのどちらも神の敵に対する武器としての目的があるゆえに、神に属するその両者の
対決などあり得ません。 そもそもそれは概念と概念の対決になってしまいます。 上と下、右と左、
高いと低い、などは概念であり、これらはまず絶対的基準があってこそ成り立つものです。 概念が
対決することなどあり得るはずもなく、その概念を表したのが矛盾という言葉だからです。
ですから、そうした考えは絶対的基準を覆そうとする悪魔の精神から出ています。 それを現実化さ
せているものの一つに、勝者など存在しない人間同士のあらゆる戦争があります。 人間界の裏で
暗躍する武器商人たちの金儲け主義が関係した 「戦争と平和」 の概念が武器の性能向上を是認
させ、国民から吸い上げた税金は惜しげもなくそれに費やされます。 最近では人間の間で起きる大
きな戦争そのものが武器商人たちが仕掛け人であるとさえ言われています。 確かにそうしたことが
大いなるバビロンの恥知らずのおごりの力によってなされてきたと聖書は暴露しており、神の絶対的
基準を覆してきた彼らは、これまでに流されてきた膨大な数の血の罪に対する裁きから決して逃れら
れません(啓示18:3,24)。 また破壊するだけでなにも良いものを産出しない膨大な軍事費は、ど
この国においても借金を蓄積させるだけの元凶であり、人々は現金の代わりに紙切れをつかまされ
て安心しきっています。 しかしやがてすべてがリセットされる時が来るでしょう。 それが大患難の
始まりの時です。 かつて難攻不落といわれたバビロンが滅びる前、彼らを保護していた水の流れは
上流で進路が代えられ、バビロンの城塞の周りの水は干上がりました。 啓示 16:12 にもそれと
よく似た現象が起きると象徴的に記されています。 その水とは、啓示 17:15 で、「もろもろの民
と群衆と国民と国語を表してる」 とあり、彼らの生活を直に支配しているのはまさに通貨なのです。
それで多くの借金を抱えている国ほど、大患難を引き起こす最後の野獣によって借金は踏み倒され
るでしょう(ダニエル11:43)。 そして彼らは彼ら独自の通貨を創設します。 人々にとってこれは大
きな矛盾となりますが、もはやどうにもできません(ダニエル8:23,24)。 その時彼らに立ち向か
える者はもうだれもいないからです(啓示13:4)。 そして踏み倒した借金についても、そうなる以前
から紙切れをジャンジャン発行して人々につかませ、裏で現金を吸い上げていたのも実は彼らなので
す(啓示13:11)。 今度のその通貨は人の目から見て絶対安心の通貨であり、それは 「地」 で
もあり、「666」 の内の一つの座 「6」 を表しています(啓示13:18)。 しかもこれ無しでは誰も
生活できません(啓示13:7)。 この通貨が使えるようになるためには野獣の像に対する何らかの
崇拝行為が必要になるでしょう(啓示13:15)。 彼は人間でありながら自分を神とし、神の座にい
るからです(テサロニケ第二2:4)。