マタイ 24:28 死骸とそれに群がる鷲の解き明かし | バルタンセブンのブログ ものみの塔 JW.org という霊的地所から

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聖書を研究し、預言の言葉を最新のものにするための場です。大患難までに油を蓄えておきましょう。マタイ 25:4

イエスはマタイ 24:27 で、ご自分の臨在を稲妻に例えられました。 肉なる者がどこかの場所に


いるかのようではないという意味でそう語られたのです。 稲妻は一瞬の光の輝きであり、一度に地


球上の複数の場所で同時に輝くことが可能です(これはインターネットで同時に情報を発信するのと


は違い、同時にそこに存在できるという意味です)。 これは霊者特有の能力で人間には真似できま


せん。 まさにこれがイエスが地上に注意を向けている証拠です。 


だからといってこれが文字通りの稲妻でないのは明らかです。 ただ 「稲妻のよう」 なのです。


イエスはどんな意味で稲妻のようなのでしょう? 稲妻が輝いた後に残されるものは何でしょうか?


それは雷鳴です。 しかしここで雷鳴のことは触れられていません。 明らかにイエスはここでご自分


の役割にのみ、つまり光の方だけに注意を向けておられます。 そしてイエスはご自分の弟子たち、


つまり油注がれたクリスチャンに語っておられます。 「人の子のしるし」 はすべての人に感じられま


すが、稲妻を感じられるのはこの弟子たちだけであるからです。 それでこの光は聖霊による啓発を


表しています。 ちょうど特定の周波数にダイヤルを合わせるとそのラジオ局から流れる放送を受信


できるように、光の啓発を識別する人の中に働きかけ、記憶され活動し始めます。 どんな活動でしょ


う? それは雷鳴によって轟くかのような、イエスの声をスピーカーから発する活動以外にありえませ


ん。 羊はそれによって羊飼いを見分けるからです。 


イエスはそれに関連付けて、その後に極めて謎めいた一言を述べられました。 マタイ 24:28


「どこでも死骸のあることろ、そこには鷲が集まっているでしょう」 これが実際の何かの死肉とそれに


群がるコンドルのことを述べていたわけでないことは明らかです。 イエスは、23~27節でご自分の


臨在を見分ける方法を真剣に語っておられた最中だったのです。 しかも識別はかなり難しく、選ば


れた者でさえ惑わされる危険があり、その危険はおおむね人に注意が向くからでした。 それで、


28節はその結論といえます。 30節の 「人の子のしるしが天に現れる」 記述のすぐ前に書かれ


ているので、それは史上最後のキリストの死の記念式の後のことでしょう。 その日は全世界の至る


所で一斉にそれが行われるからです。 油注がれたクリスチャンを一網打尽にする絶好のチャンスで


す。 それでこの時ユダ・イスカリオテ級が彼らの居場所を密告します。 彼らは親密な集いの中に必


ず紛れ込んでいることが預言されているからです。 すなわち28節の死骸、それは油注がれたクリ


スチャンすべてが地上から絶滅させられた時の状態を表しています。 彼らはみな死へのバプテスマ


を受けているため、この特別な日に向かって死への行進をしている自分にはっきり気づいています。


その日必ず、彼らは一人残らず処刑されます。 


その場に残っているのは、彼らがイエスのスピーカーとして語っていた事実と、死体という破壊された


スピーカーの残骸だけであることを示唆しています。 彼らは啓示 11:1~7 の預言によると、


千二百六十日の間警告と裁きの音信をふれ告げた後、野獣によって一斉に絶たれることになってい


るからです。


しかし彼らが処刑されるその場所をよくご確認ください。 8節では、「ソドムまたエジプトと呼ばれる


多いなる都市の大通」 とあるのです。 この時すでに大いなるバビロンは滅ぼされて存在しないは


ずです。 ではここはどこでしょう? かつてイエスはご自分が属しておられた国民の最高指導部と


当時の野獣であるローマ帝国の共同作業によって処刑されているのです。 では今日それは何を意


味するでしょう?  誰もが驚かれるでしょうが、紛れもなくそれは宗教的偽預言者である物見の塔の


組織と啓示13:11の別の野獣、つまり政治的偽預言者が最後に合体して複合の偽預言者を構成し


ているということです(油注がれたクリスチャンはみな物見の塔出身者なのです)。 


確かに子羊のような二本の角があり、しかし龍のように話すのです。 まさに彼らこそ真の背教者、


反キイリスト、滅びの子でぴったりです。 


野獣の像を作らせそれを崇拝させるそのやり方も(13:14,15)、エホバではなく組織崇拝を助長す


る彼らのやり方とそっくりではありませんか。 


そして14節で述べられている、「剣の一撃を受けながら生き返った野獣」 これこそが、啓示 17:8


の、「かつてはいたが今はいない野獣、しかし後に現れる」 ことになっているものです。 これは、古


代バビロニア帝国の支配スタイルを真似た現代版の復活です(あくまでも支配スタイルを真似た支配


なので、ギリシャ帝国の四つの角を辿っても解りません)。 そして事実上神の民の7000人のエリ


ートたちがそこに高官として囚われています(ダニエル2:48,49)。 彼ら7000人はバアルには身


をかがめなかったので、まだエホバから忠実と見なされていいます。 


かつてネブカドネザルに振るわれた剣の一撃は(ダニエル4:23)、すぐにではなく徐々にその効力を


現しました。 したがって巨木の幻は彼の支配スタイルの一面も表しているのです(ちなみにこの場


合の七つの時は絶対に計算できないようになっています)。 鉄と銅のタガが今日も彼を締め付けて


いるため、彼は屠られたかのようにそれほど目立ちません(啓示13:3)。 やがてこのタガが外され


ると突然頭角を現し始めます。 そしてこのタガが大いなるバビロンです。 またこのタガはダニエル


7章で引き抜かれる三本の角でもあります。 今回はこのくらいにしておきましょう。


話は元に戻って、イエスはマタイ 10:18~20で、1260日のその時、ご自分の言葉を彼らの口の


中に入れるとも述べられました。 しかし数少ない油注がれたクリスチャンのところにどうやって数え


きれない大群衆が集まれるのでしょう? 彼らはみな必ずしも物理的に集まるわけではありません。


遥か遠くからも鋭い霊的視力によってそれを見分けている鷲のような人々は、かつて死骸のあった場


所から出ていたその言葉を多くの自分の仲間たちに分配し(ダニエル11:33 12:3)、これを頼り


にすべての者は最後の試練を乗り切ることができます。 


とはいえ彼らは物見の塔が言っているように、それぞれの会衆として王国会館に集まり、かっこよく


野獣と対峙するわけではありません。 その時存在してるのは腐敗して野獣に乗っ取られた見える


組織であり、ここに最後の野獣は自分の宮殿のような天幕を設けるからです(ダニエル11:45)。


そして偽預言者とヤギたち、どうしても組織から出ることができなかった7000人の者だけがそこに留


まって最後の業を行っているでしょう(啓示11:8)。 しかし他の者たちはみなすでに組織から出て


います(マタイ24:15,16)。 また、この時7000人の者たちもすぐに何らかの方法で死にます


(啓示11:13では大きな地震によってとある)。 ちょうどその時の様子は、イエスがゴルゴダの丘で


処刑された時、まだ聖霊を受けていなかった弟子たちがこっそりと目立たない所でイエスを見守って


いた状態と似ています。 その記述は、現代にも成就する預言としてゼカリヤ 12:10~14 に記さ


れています。 これがイエスの時と同様に現代に成就します。 それで生きた人間には全く注意が向


けられず、死骸から出ていた音信に注意が向けられることによって、それを識別できた人たちが救い


を得るのです。 一方、何か注意を引く言葉を語っていても、その者がその時生き残っているならば、


それは明らかに偽預言者であり、偽りを語り、惑わす言葉であったことが解るでしょう。 


その日、生き残っている預言者はみな偽物だからです。