前回も書いたが50年ぶりに神恵内(かもえない)村の大森海岸にスケッチに行った。
その頃大森海岸は断崖絶壁で行き止まり。
先にある珊内(さんない)、川白地区は細い山道を歩くか船で行くかだった。
この時に、叔父さんが神恵内小学校の校長をしてた。
夏休み中、叔父さん一家が東京に旅行してる間の留守番を頼まれた。
友人と小樽から出掛けて毎日海水浴三昧。
何日目だったか川白にキャンプをしに船に乗って出掛けた。
ライスカレーをつくり食べようとしたがラジオで台風が上陸するというニュースが流れる。
風雨も強くなり帰ろうと言う事になったが船はもう出た後。
友人がテント道具を背負い、私は出来たカレー入りの鍋を両手で持って退却することに。
その頃は海の縁に道路は無く、曲がりくねった暗闇の山道をひたすら歩いた。
大森の海沿いの路が見えた時は心底ほっとした。
4時間も歩いたか夜中の10時過ぎに家にたどり着く。
やっと鍋を下すことができたが、こぼれたカレー汁でシャツからズボンにかけてベタベタ。
その後、海岸に自動車道路ができ1985年に大森大橋ができ、山道は廃道になった。
通行止めの廃道を上がる。
広い立派な道に見える。神恵内村に向かい構図を決める。
F4号に挑戦するがデッサンの途中で狂いが生じ修整もきかなくなる。
放棄。
時間も無いので新たにF0サイズの縦構図で描き直し。
イタドリの葉っぱの陰でがんばるが暑さでだんだん弱ってくる。
30度以上の暑さとピーカン照りの太陽は苦手・・・・。
草花に秋の色が・・・・。
この日は早めに帰宅。
次の日も使えるフリーキップだったので2日目をどうしようか考える。
暑さが続くので戸外でのスケッチはやめて目的を温泉に決める。
奥さんは、良い景色に出会う事を考え、簡易な絵の道具は用意して行けと言う。
暑くて、外に出ないから道具は持って行かない風呂道具だけと宣言する
が、またまた出がけに「長袖でないと日焼けするよと」・・・・。
「今日は、外には出ません!」と少し言葉がきつくなる。
「俺を熱中症で殺すのかぁ?」と内心、思う。
塩ラーメンと生ビールで寝ころんでいたが館内冷房がきつく早めに帰宅した修行人

