1. 三田尻病院の対応の遅さにしびれを切らし、朝から母と中央病院(山口県立総合医療センターのこと、防府の人は歴史的にこんな風に呼ぶことが多い。私が昨年入院したところ)に行く。この病院は様々な分野の専門医が常駐しているし設備もそろっている。母は連休前に病名を確定し、早く治療の展望を描きたかったようだ。未来が見えないと、人間はストレスがたまる。

三田尻病院で治療中ならそっちで継続してみてもらったら、などと初診の受付で言われたが、なんとか診察をしてもらう。最初にした血液検査と直腸の内視鏡検査から「潰瘍性大腸炎の可能性が強い、最低2週間は入院」といわれた。安部総理の病気などと言われる。その後、午後、精密検査のためCT検査を受ける。造影剤を入れて体の精密な断面図を見ることができる。

検査後、消化器内科の医師に呼ばれ診察を受ける。「悪い話をしなくてはならない。」と切り出す。医師の様子が最初の診察の時とはどうも違う。CTの画像を見せながら、戸惑うことなく「子宮がんの可能性が高く、肺に転移している。」とはっきり言う。私は医師の言葉を遮り、あわてて外待合で待機している父を呼んだ。家族3人で深刻な話を聞いていた。話があまり頭に入ってこない。笑顔がふっとび、気分はどん底になった。私は立ち直れるのか。支えるべき役割なのに、私からはため息と涙しか出ない。

自分の入院の時には治療は間に合ったし、他に悪いところはなかったから、退院は確実だった。しんどかったけれど、10日間耐えていれば死の危険はなかった。自分さえ我慢すればよかった。しかし母の場合は違う。私にできることは何も無い。これはつらい。努力のしようがない。

明日は院内紹介状を持って婦人科に行くことになった。おそらく入院だろう。平均余命とか〇年後の生存率の中央値は何パーセント・・とか言われるのかと思うと、ぞっとする。しかし、現実を受け止めねばならない。私が現実逃避していいのはピアノを弾いている時だけなので、他の時間は現実と向き合うのが理系息子のの役割だろう。

2. 母は元来医者嫌いで、市のがん検診とか健康診断など、父が誘っても受けようともしなかった。過去を悔いても仕方ない。

電験三種に初回不合格だったときのような絶望を感じた。国家試験の勉強ならば翌年頑張ればよいが、癌と向き合うのに頑張りようが無いのが無念である。私の勉強量は無力である。

 

私が独身で良かった。こんな悲しい思いを妻や子にさせなくてすむ。つらいのを受け止めるのは私一人で十分である。ただ、私が死ぬときは一人なのは仕方がない。自業自得である。本日の晩御飯は事情によりセブンイレブンの弁当である。食欲が湧かないが、涙が出るのを我慢しながらむりやり胃におしこんだ。