1. 2005年、教員になり立てホヤホヤの時期、職員室に導入されたばかりのテレビが初めてついた。列車の事故が起きたというニュースが入ってきて、偉い人が「テレビつけて」といったからである。学校には全く関係ない情報と思うが、上意下達の軍隊的な組織(どこもそうだと思うが)だったから仕方がない。県内の私立某中学校でアサハラの娘が合格し、入学許可を出してしまったいう話があり、偉い人が「うちじゃなくてよかったね」と安堵していたことが懐かしい。よっぽどこっちの方がビッグニュースだった。私は今やテレビのニュースなんて彼らの商売道具にすぎないと思っていて、全く興味が無い。

その後、この職員室のテレビがついたことは無かった。福知山線の事故以降、一時期JR西の電車に乗ることがちょっぴり怖かった。

2. 昔我が理科大の基礎工学部は、1年生だけ長万部キャンパスだった。この学部の人は武道館での入学式が終わるとすぐ、観光バスで羽田空港に連れていかれる。今は経営学部国際デザイン経営学科という何やっているのか見当もつかない学科の1年生が通うようである。理科大生だと、他学部の学生でも長期休暇中この長万部寮に格安で泊まれた。私は旅先の宿泊料を大学の事務室で払うという奇妙な経験をして、一泊だけ長万部の寮に泊まったことがある。

長万部駅から陸橋を渡り結構歩く。夜ご飯も長万部キャンパスで食べた。札幌の業者が入っていたようだが、とんでもなくおいしかった。普段からこんなおいしい料理が出てきているのか疑問だが、お刺身とかついていてすんばらしく豪華であったことが印象に残っている。翌朝、鉄道の陸橋あたりで地元民に話しかけられた。こんな田舎でJRを跨ぐ陸橋を歩いている若い人は理科大生くらいしかいないのだろうね。この函館本線を跨ぐ橋は「ふれあい大橋」と言うそうだ。この橋は新幹線工事を経ても生き残るようである。運河駅から運河を渡る徒歩専用の橋も「ふれあい橋」というのだが、まさか偶然の一致だろうか。名称を合わせたのだろうか。運河のふれあい橋の方は強風が吹くとかすかに揺れて怖い。

長万部駅で奮発してカニ飯を食べておけばよかったと後悔している。私はその後長万部からJRで八雲に出て、八雲からバスで江差に出て廃線が決まっていた江差線で七重浜まで行った・・と思う。昔の話なので記憶があいまいである。函館で一泊したような気もする。七重浜駅から函館側に少し歩くと青森行のフェリーターミナルがある。青函航路でうまく夜行便の船に乗り宿泊費を浮かすのが私の旅の常套手段であった。七重浜駅近辺の夜道をとぼとぼ歩くと、本当にフェリー乗り場があるか不安になり精神に異常をきたす。北大の水産ってフェリーターミナルの近くにあるんだね。知らなかった。