1. デジタルとアナログを学術的で正しい意味で使う人が皆無なのが気持ち悪い。デジタルを「現代的で機械仕掛けの」「進んだ」「ハイテク」という意味、アナログを「旧時代的な」「手作業な」「時代遅れな」という意味で使う人が多数なのである。しかし本来、デジタルは「桁」であり数値が飛び飛びで不連続な様子を表す。アナログは連続的な様子を表す。非理系人同士の日常会話に目くじらを立ててもしょうがないね。

2. 激動の時代だった2020年の記録を書き残しておきたい。

3月の終わりころだったと思う、「ウチの○○高校2年の娘のことなんですけど」、と電話がかかってきた。当時通っていた△△高校2年の中学時代の同級生だった。あんまり数学は得意じゃないとか、授業中すぐ眠くなるからあんまり授業を真面目に受けていられないらしいとか、よくわからないことを言われる。(この女の子は結局入塾し、4月から通い始め、翌年の卒業までウチで頑張った。)最初の面接ではどんなヤバイ子が来るのかと戦々恐々していたが、私から見たら普通に賢い理系だった。親はすぐ眠くなりますなどと言っていたが、私の授業で寝たことは全く無かった。才能はあるのに数学はやっぱり好きになれない感じだったね・・。気がかりだったのが、高校入試がこれまでの人生のピークみたいなメンタルだったので、塾としてはそのピークを越えるような「今」を作ってあげたかった。

このお嬢さんは特におしゃべりが好きだった。それでも私は授業はせねばならないし、たまには話も聞いてあげなければならない。そこで私はバランスをとることにしていた。教室に入り彼女が椅子に座った瞬間間髪入れずに私が話し始めるようにし、彼女にしゃべる隙を与えないようにした。そして、授業が終わったら逆に私は黙っていて、しゃべるように誘導する。勉強とは関係ない学校のイベントの話を振ったりした。ひとしきり話しをさせて「ちゃんと聞く」のが女子生徒との大事な交流方法である。

ある日授業が終わって、珍しく、無言で立ち上がって帰ろうとした。今日は何にも話していかないのか・・と思っていたら、なんと玄関で靴を履いた瞬間しゃべりだした。しばらく立ち話をしたのだと思う。話は座っているときにしてくれないかな・・と思ったのは言うまでもない。でもこのお嬢さんが通学している時は比較的うまくことが運んだので、このお嬢さんは幸運の女神だったんだろうと勝手に思っている。

話を2020年に戻す。4月の終わりころだったと思う。また電話がかかってきた。「○○市に住んでいるBと申します、一般計量士の授業をしていただきたい。」まさか二人目の一般計量士の授業依頼があるとは想像すらしておらず、少々面食らった。一般計量士の授業は、かつてA氏(2023/10/29の日記に登場)の授業で散々苦労したので、本当はやりたくはなかったが、勉強で困っている人を助けるのが仕事だし、教育で体を張るのが私の宿命なので、二つ返事で了承する。B氏を引き受ける時には全く迷わなかった。

B氏の授業もA氏以上に難航した。なかなか授業スタイルが定まらず、悩んだ。結局高校生にやっているように問題を解いてもらいつつ私が模範を示しつつ、定義とかをしゃべりつつ・・みたいな「いつものスタイル」に落ちついた。何がどのくらい分かっているのか、どの程度の学力水準なのかが徐々に分かってくると授業も軌道に乗る。本人にもどんな授業がいいのかいろいろ聞いたのだが、「授業の方針は先生が決めるんですよ」と言われてはっとした。おじさんの希望に沿った授業をするのではなく、おじさんを合格させるための授業をしなくてはいけないのだ。そもそもどんな勉強をすればよいか分からないから私を頼っているわけで、私が音頭をとってうまい仕組みを作らねばならないことを自覚した。結局数学の問題集を私が作って、それを一緒にやったりした。この問題集は現在も販売中である。

このおじさんも実におしゃべり好きだった。勉強と関係ない仕事の話を授業中に結構していた。現場の話は私も聞いたことがなかったし、雑談を聞いているのは結構面白かった。しかし、これではいけない、と思った。合格を請け負う以上、授業中は私がしゃべり問題を解かせねばならない。やるべきことは満載で、一秒たりとも遊んでいる時間はない。だから、あんまり言いたくはなかったがきっぱりと言った。「授業中は勉強のためだけの会話をしましょう。」と。本当はおっさんの話をきいてるだけで金貰うほうが楽に決まっているが、「合格させる」ためには正しい一言だったと思う。

11月くらいに過去問をくれと言われて驚いた。過去問が経産省のホームページにあることをどうやら知らなかったようなのだ。塾のホームページにもリンクがはってあるし、当然そんなことくらい知っていると思っていた。

試験直後、B氏からは連絡が無かった。翌日正答だけ公開されるので、自己採点だけはできるのだが、30/50超えていない場合合否は合格発表まで分からない仕組みなのだ。それが分かっていたので、「きっと微妙な点なんだ」と言い聞かせながらこちらからも連絡をしなかった。二月の合格発表でぎりぎりで合格していたという連絡を受けて、ほっと胸をなでおろした。2018年のA氏は私がいなくても合格していただろうが、B氏は私の関与が合格の決め手だったように思う。

一般計量士合格後B氏は一度塾に来られた。ついでに問題を持ってきていただいて、私はその問題を見て解説を書くことができた。この時にたっぷりと雑談ができた。B氏とは今でも親交があり、2023年夏には退院後に栗とお見舞いを持って会いに来てくれた。(2023/9/22の日記に登場している)。ご子息が通ったこともある。

さて、激動の2020年はまだ始まっていない。5月の末に△△県にお住いの方(C氏とする)から、騒音振動の解説をご購入いただいた。教材購入の際のコメントに、「環音の授業をzoomでやってもらえないか」と書いてあった。この一行を読んだ瞬間、私は「この仕事を引き受けて私も受験して筑波の講習に行こう」と思った。ものの数秒で塾の今後の経営方針を決めてしまった。この日から高橋直也塾は騒音振動の塾になった。

ただ、この連絡を受けた段階では、まだ環音は素人同然で、すぐに授業は始められなかった。この時点では不完全なdB合成公式しかなかった。環音の飛ばした問の解説を書くため一か月ほど待ってもらい、授業は7月の頭から開始した。zoomという慣れないソフトを使う授業のため、人が目の前にいないのは違和感を感じたが、慣れたら別にどうということは無かった。

C氏の授業も大変だった。私も素人だったから、グーグルや専門書で必死に調べて過去問の解説を続けた。C氏は記憶力は抜群だったし、何より勉強熱心であった。質問もバシバシ来た。ただ、計算力が皆無で、どれだけ積分の計算式を示してもわかってもらえなかった。log2,から順にlog9まで全部値を暗記したとか言っていて、たまげた。log5とかlog6なんて覚えなくてもすぐ導けるでしょうに・・と何度も思った。

試験が近づき、「環物の得点は見込めないから、環音に絞って得点する」と言われたときは、本気で心配した。満遍なく勉強するのが、正しい試験対策だからだ。(そんな私の不安とは裏腹に、C氏は試験翌日に自己採点で合格との連絡があった。環音の得点は私よりだいぶ良かった。)

8月に私も騒音振動に出願した。出願には8500円の収入印紙を願書に貼るのだが、それがすごく嫌で不安だった。私の勉強では特に法規が大変だった。たった半年で共通科目を何とかするのは無理かも・・と毎日絶望していた。しかし、必死で勉強せざるを得ない状況だった。塾なので、通学中の高校生が2年生の時期しかチャレンジするタイミングは無かったのだ。私が人生をかけた戦いをしている最中に、片手間に高3の授業はできない。理系の高3の授業は大変なのだ。2021年は大学入試に専念せねばならないのは分かっていたので、私は何としても71回試験で合格しておかねばならなかった。私から見たら一般計量士の方が騒音振動より楽だったので、出願する区分を間違えたと後悔しながら勉強を続けた。苦境に陥っていた私のことを察したのか、B氏が共通科目の資料をくれたりした。中でも法規の表はだいぶ使えたので助かった。

71回受験の様子は2023/11/2日の日記にある。この大変な2020年の賭けに勝ったからこそ、今があるのだと思う。半年みっちり勉強したから今でも騒音振動の授業ができるし、合格の余裕があったから翌年の高3の授業もなんとかなった。2020年は大変だったが電験三種ほどではなかったし、無事私の合格証書も来たから結果オーライだと思う。