1. かつて、紺の学ランを着て私が北千住に通っていたころ、我が母校の校長は数学の先生だった。そして、ご子息が私と同じクラスにいた。とても人当たりの良く優しい人で、文系なのであまり接点はなかったが仲良くさせてもらっていた。卒業式の日、彼が「直也君どこに進学するの?」と尋ねてきたので、「東京理科大の数学科だよ」と言うと、彼は「お父さんと一緒だね」とさらりと言ってどこかへ行ってしまった。その時その意味を正確に聞いておけばよかったのだが、そのまま会話は終了し、その真意が分からないまま卒業してしまった。数学科の出身が一緒だということなんだろうか。それとも校長は本当に理科大のご出身だったのだろうか。校長の出身大学など知るはずもなく、「一体校長と私の何が一緒なんだろうか」と、疑問が残った。今でも真実は謎のままである。

この謎を明らかにする、最初で最後のチャンスが訪れた。母校での2週間の教育実習である。教育実習最終日、校長の訓辞?があるとのことで、実習生全員が校長室に集められた。校長室なんて入ったことが無くて、私はおどおどしていた。でかい、いかにも高級そうな楕円のテーブルがあったことを覚えている。私はなぜか校長の隣に座った。ひとしきり校長が話し終わると司会役の先生が「何か質問があるか」と言った。この時、「校長は理科大のご出身なのですか?」と聞きたくてならなかった。しかし、実習に関係ないし、正直聞いたところでメリットは別に無く、ヘタレな私は何も聞けなかった。今なら、本当に理科大生だったんだから、そのくらい聞いたっていいじゃないかとも思うが、当時の私にはそんな勇気は持てなかった。

今となっては、分からないことがが多い方がブログのネタになってよい、くらいに思っている。

2. 現在通っている病院は、内科医の医師が一人で診察している開業医なので、グランドメディカルセンター(県立医療センター、グラセンと略すとよいね)に比べるととても小規模である。医療センターのように超混雑することなどありえないのだが、今日見た夢は、この小さな病院がものすごく混雑する夢だった。しかも、診察室に向かうのに障害物のあるジャングルジムみたいなコースの中をたどって行く、という奇想天外で破天荒な夢だった。破天荒すぎて、私の夢だけを集めたら一冊の本になりそうである。しかもなぜか病院にはバスで行った。このバスも混雑していた。夢の中ではバス停の目の前に病院があったのだが、現実でもこの病院はバス停のすぐそばにある。現実がたまに混じっているのが滑稽で仕方ない。

3. 計量士合格者の方が鰻のかば焼きを送ってくださるそうだ。深く感謝します。私には贈答用に鰻を送る発想が無くて少々戸惑ったが、クロネコヤマトからのメールに書いてあった発送店の名前を見て納得した。高級店なのだ。絵にかいたような高級店である。店の場所も、言われなくても大体わかるような街道沿いにちゃんとある。中心部には接待用に高級な料亭があるんだろう。私はこんな高級店で食事をした経験は一度もない。高級店のかば焼きは、やはり安いその辺の鰻とは味が違うのだろうか‥

修士の二年の冬、某脱税学園に就職が決まり、当時大阪の八尾に住んでいた父が埼玉に来て家探しを一緒にしてくれることになった。蓮田駅から徒歩圏にあるアパートを借りることにしていたので、エイブル大宮店の人と父と私でアパートを探した。朝、大宮駅のらせん状のクルクルした謎のオブジェ(まめの木というらしい)の前で父と待ち合わせた。父が上野で東北線に乗り換えず、東京駅からそのまま京浜東北線で来たので驚いた。

家が決まり、夕方大宮駅で父と食事をした。父は日帰りで大阪に帰ったのだと思う。この時、近所の鰻屋に入ってかば焼きを食べさせてもらった。そんなに高いものではなかったと思うが、この時食べた鰻のかば焼きのことが妙に記憶に残っている。