若い頃、私は恵まれていたと思う

今はそう思える。体を使って稼いでいたからだ。

いわゆる地位的には底辺だった。


そもそも死にたくて、親からも離れたくて、どうせ死ぬんならと思って体を売った。

「私には何もできない」

心の底にはこんな気持ちがあった。


私は音楽と絵が好きだったけれど、他人と話すことができない人間だった。おそらく幼稚園くらいの頃から。人とのコミュニケーションや社会的な必要性を肌感で感じられない人間だった。

マナーというものも、なぜ人間はそんな堅っ苦しい生き物なんだろう…と思っていた。箸をつかうこと、蝶々結びをすること、スカートを履くこと、服を着ること…全てが違和感で苦しいなって思っていた。


体で稼ぐようになってからは、死ぬことを忘れられる時間ができた。しかし常につきまとう罪悪感と恥があった。私はなりたくない「母親」のような性格になっていた。常に怒りを抱き、頼らず、一人で生きてく、そして過程よりもお金。

嫌いな母親にお金を渡し、精神は削れていく。


何が言いたいかというと、ご飯を食べられて、お金を稼げて恵まれても、幸せと思い込むのが難しい人間もいるという話し。


私も時々おもうよ。あの人が羨ましいって。羨ましいあの人も死んでしまう世の中だ。幸せは心の中なのだと思う。でも、私にとっては感じることは、幸せを受け取ったら傷つくこともダイレクトに受け取ることだから難しい。

だから人間はわざと傷つかないように自分を守るんだと思う。わざと幸せにならないように、感度を調整するんだと思う。


…今日も、寝ている間に死ねますように。