<東京物語(日・1953)> ★★★★★

 

 

高校時代に見た作品ですが、NHK-BSで放映されたのを録画しておいて、殆ど60数年ぶりに見ました。小津安二郎監督作品で、成長して東京にいる子供たちを訪ねた年老いた両親の姿を通して、家族の絆と老いと死などを淡々と描きながら深い余韻を残した作品です。子役を除いて、出演俳優には懐かしい名前が並んでいるので、あえて俳優名を付記しますが、多分、香川京子を除いて全員が故人となっていると思います。

 

>尾道に暮らす周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)の老夫婦は、小学校教師の次女の京子(香川京子)に留守を頼み、夜行列車で東京に行き、下町で医院を開業している長男の幸一(山村聡)や美容院を営む志げ(杉村春子)の家を訪ねますが、どちらも仕事にかまけて親切にかまってくれません。志げは、戦死した次男の妻の紀子(原節子)に一日両親の面倒を見てくれるよう頼むと、紀子は仕事を休んで2人を東京観光に連れて行きます。

幸一と志げは金を出し合って両親を熱海の温泉に行かせますが、夜遅くまで他の客が騒いでいるため2人は眠ることができず、2人は尾道に帰ることに決めて、志げの家に戻りますが、露骨に嫌な顔をされます。とみは紀子のアパートを訪ね、紀子の優しさに涙をこぼします。周吉は尾道時代に友人(十朱久雄・東野英治郎)と酒場で再会し、泥酔して志げの家に転がりこみます。翌日、二人は皆に見送られて帰路につきますが、とみが体調を崩し、大阪で途中下車して三男の敬三(大坂志郎)の家に泊めてもらいます。2人が尾道に帰って間も無く、とみが危篤だという電報が届き、3人の子供たちと紀子は尾道にかけつけるが、とみは意識を回復しないまま亡くなってしまいます。とみの葬儀が終わると、3人は紀子を残してさっさと帰って行ってしまい、京子は憤慨します。紀子が東京に帰る日、周吉は紀子の優しさに感謝を表し、早く再婚して幸せになってくれと伝えて、妻の形見の時計を渡します。翌朝、周吉はがらんとした部屋で静かな尾道の海を眺めます。

 

シーンごとに殆どカメラを動かさず、見上げるような角度で淡々と描写する独自の撮影方法は今の若い世代にはまだるっこく退屈に感じるかも知れません。しかし、今や周吉・とみなみの高齢(と言っても、とみは60歳台と言っていました)になると、頭脳の回転能力に合ったテンポでしっかりと染み込んで来ました。親が子供を思うほど、子供は親を思っていないことは身に染みて理解出来ました。こんな状況は世界共通と見えて、世界映画名作選では、必ず上位に名を連ねている名作です。

 

ちゃぶ台を囲んでの食事、暑い夜を団扇で過ごす、マッチを擦って煙草に火をつける、夜行列車・・・・懐かしい昭和の風景が次々に登場してその点でも楽しめました。