<SEX発電( Conviene far bene l'amore・伊・1975)> ★★★☆

 

 

世の中は9連休だ、11連休だと騒がしいですが、何処へも行く予定もないので、録画してあった映画を見ています。その中の一つは、現代文明がすべての電力資源を使い果たし、中世のような世界に逆戻りしたが、SEXによる運動ガエネルギー源になることが発見され、国家があらゆる形でのSEXを奨励するようになる、という奇想天外なコメディです。邦題はそのものずばりで露骨ですが、原題は“恋をするのはいいことだ”と言うような意味のようですが、内容上、SEXシーンが何度も出ますが、イタリアらしくあっけらかんとしていて秘め事じみた陰湿さは全くありません。

 

>2037年。すべてのエネルギー資源を使い果たした人類は、中世時代のように蝋燭、薪、馬車などを用いて生活していました。生理学者のノビーリ教授は、性的興奮を電気エネルギーに変換する装置を開発して実験台として、ダニエレと奔放な人妻フランチェスカに交通事故を仕掛けて、大掛かりな発電装置を仕掛けた同じ病室に閉じ込め不倫を誘発します。実験は成功し、病院周辺の街灯が輝きます。これを不審に思った政府は教授を召喚して「セックス発電」装置の開発成功を知り,ローマ司祭は反対しますが再実験を求めます。教授はベッドに組み込む発電機と充電池の開発にも成功して、地元のホテルの協力を得て大量のデータを入手、愛に乏しいSEXほど多くの電力を得られることを突き止めます。イタリアは世界に先行して発電装置の実用化を目指しますが、スパイに発電装置をすべて奪われてしまいます、スパイは逃亡のための電気機関車を動かすためにダニエレとフランチェスカを拉致してSEXをさせ、電気機関車は発車し、2人は解放されます。セックス発電の技術は世界じゅうに流出し、世界中がかつての文明を取り戻します。それに合わせて社会通念は変わり、エネルギー持続のため、愛のないSEXや不倫が推奨され、工場の発電要員には特別な食料が供給され、プラトニック・ラブは禁止されます。ノビーリ教授にはノーベル賞が授与され、祝賀パーティにはダニエレ夫妻やフランチェスカ夫妻も招待されます。再会したダニエレとフランチェスカは物陰で愛を囁き合いますが教授に見つかり、あわててSEXを始めます。その様子を見た教授は「人間は禁じられたことをしたがるなんて愚かで、SEX発電には未来がない」と嘆きます。

 

すべてのエネルギー資源を使い果たしたと言っても、まだ空気も日光も残っているのですから、風力発電や太陽光発電が出来るはずだ、などと正論を行ったらこの映画は成り立ちません。突っ込みどころはいくらでもありますが、石炭や石油に頼って来た近代文明への批判を艶笑コメディの形で描いたものと思われます。また、最後に人間は当初はなりふりかまわず発電容量の多いSEXをしたがるが、やがて愛のないSEXはつまらないと悟り、発電容量が少なくても愛のあるSEXを求めるというオチになっています。イタリアだから出来た底抜けにバカバカしいけれど哲学もこめられている作品でした。