<ライフ・イズ・ビューティフル(La vita è bella・伊・1997)>★★★

 

 

わが国で公開された時に見た作品ですが、たまたまスイッチを入れたら始まったCATVで放映されたのを見ました。第二次世界大戦下のユダヤ人迫害(ホロコースト)をユダヤ系イタリア人の親子の視点から描いて、カンヌ国際映画祭で審査員グランプリを受賞した作品だそうです。

 

>第二次世界大戦の直前、ユダヤ系イタリア人のグイドは叔父を頼って北イタリアの田舎町にやって来ますが、そこで小学校の教師ドーラと恋に落ちて結婚して、ジョズエも生まれます。しかし、戦火が拡大して、ナチス・ドイツと手を組んだイタリアでもユダヤ人に対する迫害行為が日増しに激しくなり、遂にグイドとジョズエと叔父は駐留して来たドイツ軍によって強制収容所に送られることになります。ドーラはユダヤ人ではなくリストにはありませんが、自ら夫や息子と行動を共にします。しかし、収容所では男女は引き離されてしまいます。グイドは母と引き離され不安がるジョズエに「これはゲームで、泣いたり寂しがったりしたら減点、いい子にしていれば点数が貰えて、1000点溜まったら本物の戦車に乗って家に帰れるんだ」と嘘をついてなだめます。父の言葉を信じたジョズエはつらい収容所生活に耐えます。しかし、ドイツが崩壊してドイツ軍が退却を始め、グイドはジョズエを連れて脱出しようとしますが、ドーラを探す最中に見つかってグイドは射殺されてしまいます。やがて進軍してきたアメリカ軍によって収容所は解放され、ジョズエは父の言葉通り、本物の戦車に乗って収容所を出ます。そして解放された人々の中に母の姿を発見して再会を果たします。

 

ホロコーストという陰惨な史実を背景としているのに、冒頭からチャプリン映画のようなドタバタ喜劇が始まり、大仰な身振り手振りと耳障りな饒舌さが気になって白けてしまい、かつて映画館で見た時もこんなだったかしらと考えてしまいました。ロベルト・ベニーニが脚本、監督、主演をしている点では正にチャップリン映画のようでしたが、チャップリンのようにコメディの中に哀愁の漂っている雰囲気ではなく、収容所に入ってからのジョズエの慰め方も内心での不安や緊張が感じられませんでした。グイドが看守の目を盗んで場内放送でドーラに呼び掛けても処罰されないようなルーズな収容所で、収容者全体が安宿にとまっているホームレスのようで、いつ殺されるのかという恐怖が見られず、グイドのおちゃらけぶりも子供相手とは言え、わざとらしさが先立ち。同情も共感も持てませんでした。どんなに困難な時にも陽気で明るく、深刻な表情を見せないというのはイタリア人の国民性の一面かも知れませんが、いつ殺されるか判らない強制収容所状況が状況だけにもう少し収容所の陰惨ぶりを描いても良かったと思います。

 

いつも朗らかで頼りないようでも、家族への愛情では一本筋の通った逞しさをもっているのが真のイタリア男だという人間像を描きたかったのかも知れませんが、国民性の相違か感受性の問題か、とにかく主人公の大げさなジェスチャーと切れ目のない饒舌さに辟易しながら何とか見通した130分でした。