<友だちのうちはどこ? (Khane-ye doust kodjast・イラン・1987)>★★★★

 

 

 

劇場公開時に見た記憶がありますが、最近、NHK-BS2で放映された小野を見ました。監督はアッバス・キアロスタミ。 友だちのノートを間違って家に持ち帰ってしまった少年がノートを返すために友だちの家を探し歩く姿をほのぼのとした雰囲気で描いています。

 

>イランのコケール村の小学校の2年生クラスで、モハマッドは宿題をノートではなく紙片に書いて来て、先生から「同じことをもう一度やったら退学だ」と叱られます。授業が終わり、モハマッドの隣に座っていたアハマッドが家に帰って宿題をやろうとすると、モハマッドのノートを持って帰ってきてしまったのに気づきます。アハマッドはこれではモハマッドは退学になってしまうと、そのノートを持って隣のポシュテ村と聞いていたモハマッドの家を目指します。やっと到着して彼の家を尋ねるとモハマッドはコケール村に行っていないと聞いて急いで引き返しますが、モハマッドは家に帰ってと知ります。アハマッドはまたポシュテ村に向かい、出会った老人にモハマッドの家を尋ねると、案内してやると言われ、行って見ると同姓の違う家でした。とうとう夜になって疲れ切ったアハマッドは、宿題をモハマッドの分もやってノートに書き込みます。翌朝、アハマッドは疲れから寝坊して登校すると、先生が生徒の宿題のチェックを始めていました。アハマッドはモハマッドにそっとノートを渡します。先生がモハマッドのノートを調べてOKのサインをします。

 

冒頭のモハマッドが規則違反で次は退学と叱責されるシーンが、アハマッドの奔走の理由づけとなっています。それがなければ、翌日、学校で渡せば済むはずでした。大人の目から見るとイライラするような展開ですが、映画はあくまでもアハマッドの目線で描かれています。又、ポシュテ村でモハマッドの従弟に出会ったので、彼にノートを渡してモハマッドに届けてくれと頼むような才知は8歳の少年には浮かびません。アハマッドの責任感の強さもあるようです。

 

アハマッドの右往左往の奔走の間に、村の男たちのエピソードがユーモラスに挿入されていて息抜きになります。アハマッドの祖父の「子供の躾には4日に1回のげんこつが必要だ」というのは時代離れしていますが、今でもイランの僻地にゆけば通用しているのでしょう。全体に極めてローカル・カラーが濃厚なのと、少年の走りに合わせたのろいテンポで好き嫌いの別れる作品ですが、私はこういう作品は大好きです。