<モディリアーニ 真実の愛


(MODIGLIANI・米/仏/独・2004)> ★★★★




こんな映画見ました-モディリアーニ



ユダヤ系イタリア人の画家アメデオ・モディリアーニの半生を描いた作品ですが、冒頭に「実在の人物や団体が出てくるが、すべてフィクションである」と断り書きが出て来ますが、モディリアーニの生涯そのものは、死ぬ前に無銭飲食して滅多打ちにされて重傷を負った末に持病が悪化して死んだという映画の結末は?ですが、全体としてはほぼ忠実に描かれているようです。1958年のフランス映画<モンパルナスの灯>で主演したジェラール・フィリップに比べると、アンディ・ガルシアの方ががっちりして線が太く、実物の容貌・体躯にはむしろ似ているように見えました。



>パリに出てきたモディ(愛称)は、モンパルナスのカフェでピカソやユトリロ等の新進芸術家と交わりながら、放蕩生活を送っていますが、ポーランド人の画商ズボロフスキー(ズボ)は彼の才能に目をつけて、画材を提供して作品をすべて引取る契約を結びます。1917年3月、ジャンヌ・エビュテルヌと知り合って、彼女の両親の猛反対を振り切って同棲を始めます。翌年、ズボの斡旋で個展を開きモディはジャンヌをモデルにした肖像画を出品しますが、モディは「本当の君が見えたら瞳を描く」とジャンヌの瞳を描き入れません。来場したピカソに侮蔑的な言葉を浴びせられた上、裸婦像画をウインドに飾ったため警察が踏み込み、一日だけで撤去する事になってしまいます。やがて、持病の結核が進み、ズボの尽力でニースに転地療養します。長女が誕生しますが、ジャンヌの両親は2人には養育能力がないと子供を施設に預けてしまいます。折しも、新進画家のコンテストが開催され、パリにもどったモディはピカソと対抗するために出品を決意します。出品者リストに書き込まれた名前は、スーチン、リベラ、キスリング、ユトリロ、ピカソ、そしてモディリアーニと今となっては曹々たる顔ぶれが並び、パリ中の話題になります。モディは今度こそ瞳を描くためにとジャンヌの肖像画を描いて出品します。審査当日、結果を恐れたモディは酒場で泥酔して金を払わずに出て、用心棒に殴られて瀕死の重傷を負って結核も悪化し、コンテスト入賞の結果も知らずに35歳の生涯を閉じます。第2子を妊娠していたジャンヌはその後を追って2日後に飛降り自殺してしまいます。ジャンヌの両親の反対もあって、2人の遺体が合葬されたのはそれから10年後になってでした。



映画冒頭に断っているように虚実ない混ぜですが、前半では既に成功して名を成しているピカソと、酒場で客の似顔絵を描いて生計を立てているモディの露骨なライバル意識や奇妙な友情(ピカソが運転して2人で“神様”ルノワールに会いに行きます)が興味深く描かれ、それにユトリロやスーチン、巨匠ルノワールも絡んで興味深く見られました。エルザ・ジルベルスタインの扮するジャンヌもモディが描いたほっそりした首(デフォルメされた肖像画ほどではありませんが)と容貌の持ち主で適役でした。モディそのものは、日本でいえば坂口安吾や太宰治のような自己破滅型人間で、持てる才能をフルに発揮して短い人生を突っ走りましたが、アンディ・ガルシアが好演していました。それにしても、ガルシアが演じても、ジャンヌが当時からあったユダヤ人蔑視思想に染まった父親の猛反対を振り切って同棲し、極貧生活に甘んじた挙句、長女を残して(遺児となってジャンヌの姉に引き取られたようです)胎児と共に投身自殺してしまいますが、これが邦題につけられた“真実の愛”というものか疑問で、むしろ“盲目的愛”と言うべきだと思いました。





<モンパルナスの灯>ではモディの才能に着目していたリノ・ヴァンチュラが演じる画商モレルが、彼の死後、すぐにモディの家に駆けつけて彼の作品を片はしから買いり、何も知らぬジャンヌを驚愕させるところで終わっていたような記憶がありますが、この<モディリアーニ>ではこのエピソードは描かれていませんでした。実際はどうだったのか気になりました。