<チェルノブイリ・ハート(Chernobyl Heart・米・2003)>★★★★



こんな映画見ました-チェルノブイリ・ハート

アメリカの女流監督の作ったチェルノブイリ原発事故に関する40分の中編と18分の短編を一括したドキュメンタリー映画です。事故から25年後の2003年の製作ですが、日本で公開されたのは昨年になってからです。もし、福島の事故がなければ、日本では日の目を見ることはなかったと思いますが、放射能事故の恐ろしさを実感させる映像でした。

映画の冒頭と最後にトルコの詩人ナジム・ヒクメットの詩が英文字幕で流されます。


  『この地球はいつの日か冷たくなる

   そのことで今、嘆かなくてはならない

   その悲しみを今、感じなくてはならない

   あなたが「自分は生きたい」というつもりなら

   そのくらい世界は愛されなくてはならない』



>1986年4月26日、旧ソ連(現・ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故が発生して、大量に撒き散らされた放射能で住民が大被害を受けましたが、特にその前後に生まれた爆心地近くの子供達への影響は甚大で、一般平均に比べて幼児死亡率は3倍、しかも健常児の生まれる確率は20%以内で奇形児が大勢生まれ、彼らの多くは遺棄されて専門の収容所「ナンバー・ワン・ルーム」に収容されて看護されています。映画は事故から16年後の2002年に今は独立してベラルーシやウクライナの甲状腺治療センター、小児科病院、ナンバー・ワン・ホーム、精神病院等を訪問して、収容されている被害者(主に幼児や少年少女)と医師や看護師に取材した記録です。放射線の影響で重度の障害を持った心臓を“チェルノブイリ・ハート”と呼ばれているそうで、それがタイトルになっています。次々に紹介される想像を絶する水頭症や大きな瘤を背負った奇形児達の悲惨な姿は目を覆うばかりでした。又、健康被害を受けなかったにしても居住区から追い出された人々の嘆きも紹介されます。事故が国家的秘密として放射線の影響も知らされず、僅かな補償金で故郷を追われて、チェルノブイリは今以て廃墟と化しています。



添付の短編<ホワイト・ホース>は、爆心地から僅か3km離れたところで生まれ育ったマキシムが故郷を追われていましたが、27年後に初めて廃墟と化したアパートの我が家を訪れる記録です。壁に当時残した“白い馬”の写真がそのまま残っていました。彼は「暫く一人にしてくれ」と撮影スタッフを追い払い孤独な数時間を部屋で過ごして、再び戻って来ることのない我が家を後にします。国家権力によって強制的に人生を捻じ曲げられた1人の人間の姿が 深い悲しみを伴って強烈に出ていました。作品の最後に日本公開にあたって、「この映画の完成後、2007年、彼は30歳の若さで亡くなった」と字幕と監督の日本人宛ての激励のメッセージの字幕が追加されていました。現状の羅列に留まった前半よりも、後半の映像の方が心に残りました。放射能による後遺症の恐ろしさを改めて実感します。



これらの映像がすべて我が国の福島原発事故と重なり、日本はソ連のような独裁国家ではないので多少は救われるものの、原発事故周辺の住民の方々の心痛、特に乳幼児を抱えた方々の将来への不安と重なります。それにしても、奇形児達の姿は余りにも過酷で、福島周辺の方々のみならず、放射能汚染の可能性のある食品を摂取した妊産婦や乳幼児の親の不安を煽らないか心配になりました。ともあれ、放射能事故では初期対応が極めて重要なことが日本でも判ったので、政府やと当局者は情報を早く正確に伝える義務があると痛感しました。



たまたま、日本では衆議院選挙の最中で、各候補者は言い合わせたように「脱原発」とか「原発0」と叫んでいますが、大切なことは結果ではなくその方法だと思いますが、そのためにはどうすれば良いのか一向に伝わって来ません。原発廃止は必要とは思いますが、選挙のお題目に終わらないようにして貰いたいと思います。



作品としては、チェルノブイリ事故から20年近くたってからの製作なので、事故の原因とか状況とか責任の所在については一切触れておらず、現状をありのままにリポートしています。ただ、監督がナンバー・ワン・ホームを訪れた時、看護師が幼児の扱いが乱暴でもっと丁寧にやれ、と叱責する場面がありましたが、ちょこっと撮影に訪れただけと年中つきっきりで面倒を見ている介護師とでは立場が違い、上から目線で口を出すのは少々不愉快でした。私も両親の介護にあたったことがありますが、たまに来る弟から親を粗末にしている、と批判されて立腹した経験があるので、介護師の気持ちを理解出来ました。