<ヒマラヤ,風がとどまる所

히말라야바람이 머무는 ・韓国・2007)> ★★★☆

    (英題:Himalaya where the wind dwells)

   

こんな映画見ました-ヒマラヤ、風のとどまる所


日本では劇場未公開の韓国映画ですが、1時間35分ほどの うち韓国のシーンは最初の10分だけであとはすべてネパールで撮影されています。私がこの映画を見た理由も、ドラマよりもネパール(ヒマラヤ)の風景が楽しめると思ったからで、その意味ではかなり満足出来ました。単身で言葉も解らない異国に乗りこむので当然ですが、極端にセリフが少なく、ドキュメンタリー映画にストーリーを挿入したような感じでしたが、ネパールの山村での日常生活やラクシ(蒸留酒)造り、羊の屠り方、葬式のやり方等も垣間見ることが出来ました。主人公が訪ねたネパールの家庭には学校へ通っている様子もない10歳位の片言の英語が出来る少年がいて、彼が通訳をするという設定になっていました。


タイトルについては、作品の中でネパールの少年が主人公にヒマラヤの頂きを指し示して、「あそこには風が留まる。あそこはすべての業(ゴウ)が浄化され、自分の魂に出会える所なんだ。」と語ります。(10歳前後で、片言の英語しか喋れない子供がそんなことを言えるのは不思議ですが。)

     

>妻子はアメリカに渡って一人暮らししているサラリーマンのチェはリストラで職を失い、弟の経営する工場を訪ねると、たまたま従業員のネパール人ドルジが交通事故で亡くなり、彼の遺骨を祖国の家族の元に届けて欲しいと頼まれ、ネパールへ向かいます。ドルジの家はネパールの奥地で、ガイドを雇い歩き続けますが、途中で高山病に倒れ、折よく通りかかった馬に乗せられて漸くドルジの村に到着して遺族に会います。家では老いた両親と妻と2人の子供がいますが、彼らの貧しい暮らしぶりを見て、チェはドルジが亡くなったことを言い出せず、自分は休暇でやって来たが彼は元気だと嘘をついて、ドルジの所持金を渡します。家族は彼を歓待して、リストラされて行き場を失っていたチェはズルズルと村に滞在しているものの、ドルジの死を告げられないことに苦悩して酔いつぶれたりします。病床にあったドルジの母が亡くなり葬儀が執り行われます。しかし、ドルジの遺骨を父が見つけて息子の死を知ります。一家は深く悲しみますが、老父はチェが嘘をついていたことを責めず、遺骨を運んで来てくれたことを感謝します。良心の呵責から居たたまれなくなったチェは村を去って行きます。



リストラされて会社を去り、弟を訪ね、帰路雨に会い、突然、飛行機(プロペラ機なので、ネパールのローカル線?)に乗り、空港発着のシーンは全くなく、いきなりガイドに連れられて険しい山道を辿り、高山病で倒れて馬でドルジの家に担ぎ込まれるまで延々30分近くかかりますが、その間、主人公は咳払いやうめき声以外一切発せず、周囲の会話と自然音だけしか聞こえて来ず、ネパールの自然を楽しもうとする気のない観客はそれまでに退屈してギブアップしてしまうと思います。主人公がドルジの遺骨を運ぶことになったいきさつや途中経過は一切なく、開始から1時間ほどたって彼がアメリカにいる(それもそこで初めて知ります)妻への電話でやっと明らかにされます。又、父親がどうやって息子の遺骨を見つけたのかも判りませんでした。チェのトランクを無断で開けるような人ではない筈です。



遠路わざわざ来て、いくら同情したからと言って肝心の用件を切り出せず一人悶々として過ごし、それでいて家族の暖かい歓待でずるずる居座る主人公には余り共感出来ず、こんなグズ男だからリストラされてしまったのだろうと思ってしまいました。時計の針の止まったようなネパール奥地の人々ののんびりした生活ぶりや無邪気な子供の笑顔、雄大なヒマラヤの風景は楽しめましたが、物語の展開はそれとは反対にいらいらが募りました。



主演のチェ・ミンシクは<シュリ>、<ブラザーフッド>、<親切なクムジャさん>等に出演しているベテラン俳優で、この作品でも良心の咎めや言葉の通じないもどかしさをセリフではなく表情や態度でそれなりにうまく表現してはいましたが、脚本の粗さもあって、雄大な大自然に飲み込まれていまったようでした。