弟は地元を離れる事を嫌がったから、結局父方に残る事になり、
私は母と二人の生活が始まった。
うちの母は、ほんとうは誰かをお世話したいタイプなんだと思う。
二人の生活が始まってから暫くして気づいたんだけれど、
私を父親と見立てて、何かと世話をしてくれる。
一方外出した時はどちらかというと姉妹的な位置づけ。
年を追う毎に、私はその関係性が気詰まりになっていった。
結婚よりも社会に出たくて、大学時代に付き合っていた彼と
(一般的に彼みたいなタイプが結婚するならば一番穏やかかもしれないって思うけど)
別れてしまったけれど、その後も恋愛に力を注いでいたのは、
ひとえに家に帰りたくない気持ちがあったからじゃないかとも思う。


10年間そんな生活が続いて、私の中の限界を超えたところで、
1人暮らしをする事を決心した。
当時の彼が、バックアップをしてくれたってのもあった。
父方とは殆ど連絡を取っていなかったけれど、
祖父の死を機会に連絡を取り出したのも、確かこの頃。
以前のワガママな父と違って、だいぶ年を取ったんだなって実感した。
母からは、出て行くなら荷物は全部持っていけ、と言われ、
なるべく押入れの大きな広めの部屋を探さなくちゃいけなかった。
当時の彼の家から比較的近くて、バスを使って最寄の駅に通える部屋を見つけた。
おかしな部屋だった。
ワンルームで、基本板張りなのに真ん中に畳のある部屋。
木造の癖に、天井にBOSEのスピーカーが設置されている部屋。
予定していた家賃を若干オーバーするけれど、
そのおかしさ具合と、大きな窓から入る陽の光に負けて即契約。


時折、どちらとも付き合いながら、二人の話を聞いていた。
そうやって接してみると、一言でいうとどっちもどっちって感じだった。
父も母も、それぞれに自分勝手で、好きな事を言っていて、
娘の私からしたら、若いうちの結婚ってこんなものかねって思わせるものだった。
2人とも、子どもが出来る事で学ぶ事があった、って言っていたけれど、
そもそも、その前の自分たちって、一体どれだけレベルが低かったんだよ? って思っていた。
金もない、学もない、生活するのに十分な資格もなく、結婚をして、子どもができて、
父の思いつきで引越しを繰り返し、母は何も言わず寄り添って・・・・
何も言わないってのは、賛成をしていたから何も言わなかったわけじゃなかったんだ。
相手とコミュニケーションを取らずに、不満を抱えて、愚痴を外でこぼして。
お互い向かうべき相手を間違えていたし、対峙しなければいけないタイミングを逃していた。


ある時、父から相談された。
弟をなんとかしたいんだ、と。
うちの弟は当時30近くになっても、いまだマックのアルバイトだった。
一応大学までは出ていたものの、定職といえばずっとマックだった。
時間が自由になる事、責任を取らなくていい事。
そして、何より大事なことは地元の友達と遊べる事、だった。
更に言えば、いわゆるアニメオタクで、
弟の部屋は一面全て本棚になっていて、上から下まで漫画とフィギュア。
あとは、ゲーム。ゲームも普通のゲームもあれば18禁のゲーム。
一日時間があれば、その部屋で過ごしている、そんな弟だった。
オタクって呼ばれる人の起こす事件がニュースになるようになって、
心配した父親が言い出したのは「弟をなんとかしたいんだ」って。
私も気にしていた事だったから、ふむふむと話を聞いてみる。


内容はおかしなものだった。
弟に責任感を持たせる為には、母親預けることじゃないかと思う、と言い出したワケ。
今更何を言ってるのかしら??と私の頭の中でははてなマークが飛び交う。
母も生活に苦労しているだろうし、弟がそれを見たら、自分が頑張ろうと思うんじゃないかと、
そんなことを堂々とのたまう父親。
これを聞いていて、怒りがこみあげてね。
こうやって、この人は安直な考えで行動をしていくんだろうか。
その結果で周囲がどれだけ悩むかってのをわかんないんだろうか、って。
一方で、母は、相変わらず自分以外のいろんなものに対しての不満を漏らしていた。
なんで、二人ともこうなんだろう?
見えている結果の原因は必ずあるはずなのに、そこに対しての考慮がなさ過ぎる。

もう、この時点で親を見限っていた。
父の提案を受けた振りをして、親子4人を引き合わせる計画。
弟をどうするって話をするためじゃない。
離婚をした時に、私が親に対して言えなかった事を10年超を経て言い出す場だった。
六本木の、そのお店には、私は二度と顔を出したくないなぁって思う。
隣は多分合コンをしていた。
なるべく個室の静かな部屋を取ったつもりだったけれど、声は結構漏れていたもんな。
私は泣きながら、親を責めて、「親」としての責任を問うた。
弟をどちらかに押し付ける、とかではなく、自分たちの問題として二人で解決させなさい、と。
別の場所で吐き出すんじゃなくて、ちゃんと相手に向き合いなさい、と。
ほんとうに弟をなんとかしたいと思うならば、親であるあなたたちが話し合って、
解決策を見出してください、と。それまでは、私に連絡してくるな、と。


こうして、私は親子の縁を切った。


たまたまその後に変えたSoftbankの携帯が調子が悪くて
電話の受発信だったり、メールがうまく使えなかったんだけれど、
AUに切り替えをし始めていたから、そのまま放り出していた。
私は天涯孤独になるかも、って覚悟をして、仕事に専念した。
当時は彼ともうまくいっていて、この人がいればいいや、とも思っていたし。
静かな二人の生活が続いた。
その後親からの連絡はなく(或いは連絡があってもきづかず)
母は引っ越す事を連絡してきたが、連絡先は伝えてこず、
親の携帯代を払っていたけれど、ある時から引き去りがないことに気づいた。


先の親友とはいまだに縁があり、半年に一度くらいのペースでご飯を食べている。
今年に入って話をしているときに、親の話になって、
電話の調子が悪くて、連絡の有無が分からないって言ったところ、ひどく怒られた。
「別に連絡はしなくてもいい。だけど連絡は取れるようにしなさい」
それから、言われたとおり携帯を替えて、緊急時に連絡が取れるような状態にした。


親って子どもにとっては絶対的なものだなぁって思う。
子どもって親を選べないなぁって思う。
だから、親になる事って責任が重たいな、って思ってた。


そう考えるようになってたのは、
自分が自分の親とややこしい状態だったから。


ちょっと昔のお話。
うちの家族は離婚家庭だ。
私が高校2年生の時に始めて離婚話が出た。
忘れられないなぁ。
居間で父親は中日戦をテレビで見ていた。
私はお風呂を出て、同じ部屋で髪の毛を乾かす為にドライヤーをかけていた。
ドライヤーが耳元で騒がしい中、母親とおしゃべりをしていた。
そうすると、自然と声が大きくなったようで、父親に「うるさい」と叱られた。
母親は「そんなに怒らなくても」と私を擁護してくれた。
そんな母を父が「お前は俺じゃなくて娘を守るのか」と。
そこから喧嘩が始まった。
いや、実際には違うかもしれないんだけれどさ。
私にはそんな風に見えたわけ。


親同士が喧嘩している中、私は大学受験を控えていて勉強しなければならなく。
当時の親友によく話を聞いてもらってた。
そいつも家庭環境が複雑だったものだから、なんとなく通じ合っていた。
アドバイスをくれるわけでなく、叱るわけでなく、
常に私の傍にいてくれて、大きな意味で守ってくれてた。
家に帰りたくないって気持ちがあったから図書館に通えたし、
学校でもクラス分けで運が悪く、親友やその他仲の良い友達が別クラスだったものだから、
休み時間も変に遊ぶことなく勉強をすることが出来た。
ほぼ2年間バイトだったり遊びだったりクラブだったり生徒会って、
勉強以外にチカラを注いでいたのに、現役で合格できたのはこの高校3年生の複雑な状況のおかげだった、
今はそうやって言えるような気がする。
まぁ、ほんとは御茶女の心理学に行きたかったんだけれど、ね。


私がそんな風に受験勉強をしている間に離婚は決まり、
弟と私は母親が引き取る事になり、私の受験が終わり次第別離ってことも決まったようだった。
母からは現役合格必須と言われたから、行きたい大学じゃなくて、行ける大学の照準を絞った。
併せて、入学後のかかる費用を考えて、なるべく安いところ、だけに更に絞った。
既に引っ越す場所は決まっていたから、通いやすい大学、ってのに絞る。
受験にも費用がかかるものだから、受験する大学も絞らなきゃいけないってことで、
この時期はほんとうにしんどかったなぁ。
立教、明治、本女、大東文化大、確かこの辺りを受けたんじゃないかな。
早稲田は意外に高かったのを記憶してる。
センターは絶対的な自信が無いから、御茶女は諦めて抑えとして埼大。
大東文化大と国立は申し訳ないながら、抑え。
幸いながら、割と行きたい大学に受かったから、そちらに行けたけれど、ね。
今だったら、もう少し賢く、うまく奨学金を使って行きたい大学を受験したなぁ。
慶応・早稲田も受けておけば良かった。
ただ、授業料も高いし、偏差値がぎりぎりだったからチャレンジしなかったんだよな。
あの頃の自分は今よりもずっとずっと保守的だった。


彼は大阪に出張中。
調子が悪い時の移動って、より体調を崩しやすい。
酷くなって戻ってこないってことを祈ってる。
マットの硬さが違ったりして寝づらかったりするだろうけど、
相変わらず睡眠時間は少ないかもしれないけど、
ぐっすり寝て、体を休めて欲しいなぁ。

凡そ私から出来ることって本当に少ない。
彼が与えてくれることは多いのにね。
それが申し訳なく思ったり、
居心地がわるくなったり。

変な話、自分の得意なところって、
どんな時でも楽しんでることと、
平常心で、そこに在り続けること、なんだ。
喜怒哀楽のなかだと
楽>喜>>>>>>哀>>>>怒
って感じ。
仕事でも同じことが言えるんだけれど、
何か取り立てて大きなスキルがあるというよりは、
結構ニッチなところにピンポイントで入っていくのが得意。
そこの鼻の利かせ方だけで生きてるのかもしれない。

多分、彼のことだから、
もっと派手なものを求めるならば、
それにそぐった人と一緒になるだろうし、
数多いる女性の中から、選んでくれてるのって
ありがたいことだなぁって思う。
あぁ、こうやって書くと彼から卑屈だって言われるんだろうな。
そんなつもりじゃなくって、本心からなんだけど。
(って、本心が卑屈ってことも考えられるか・・・・
 まぁ、小さなことでもシアワセって思える極楽トンボとも考えられるっしょ。)


この文章を書いているのはランチタイム。
丁度お弁当を完食したところ。
はっきり言って、立つのが億劫なくらい苦しい(笑
お弁当の内容はすっごく濃くって、
しかもどれも美味しかった。
一品だけとご飯で、一食いけるなぁと思いつつ。

お弁当の中身は彼のところから転記
・ナス入りのキッシュ
・エビチリ
・牛のしぐれ煮
・里芋と鶏肉のバターソテー
・野菜のお焼き風

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しぐれ煮って本当にご飯にあうよねぇ。
昨日食べたときは牛肉、って感じだったけど、
お弁当にはこうなってる方が美味しい。
キッシュとお好み焼き風って、近い素材のはずなのに、
見た目もぱっと見は似ているのに、
食べると全然違うの。しかも、どっちもうまい。
里芋もね、先日食べさせてもらった煮物とはまた違う。
素揚げだと食感がよいんだって幸せな気分。
レシピがあったから、これは試しに作ってみようかしらん。

離れていても、近くに感じられるってシアワセだなぁって思う。
遠くにいる人の無事を祈る気持ちが自分に芽生えたのって
これまた喜ばしいことだなぁと思う。

逆に。
だから、今死んじゃいけないなって思える。
自殺だけじゃなくて、交通事故だってあるじゃない?
先日ホストが捕まった大阪のひき逃げ事件。
あれは本当に悲惨な事件だけれど、
それでも、被害者の方は信号のないところを渡ろうとしちゃったわけだ。
自分も同じコトをしがちだ。
まぁ、いいやって気持ちで信号無視をしたりしてしまう。
万が一、ってコトを考えたら、やたらなことが出来なくなってきた。
彼が哀しむと思ったら安全を心がけようって、ね。

誰かが誰かを思う気持ちって、
自分たちだけのシアワセに留まらないんだなぁって思う。
世界平和って、そんなご大層なことじゃないかもね。