ぬっはイ☆
寒いですね、冷たい雨が降っていてより一層寒さも感じますネ!
そんな冷え冷えとした今日この頃、帰宅途中に自転車にのった男性が気持ちよさそうに
♪しあわせは~、ぴんくーいろ~ もーもいろーのとーいき~♪
(多分『恋人はワイン色』のメロディー・笑)
と歌いながら走り去っていったのに遭遇し、はじめは『桃色吐息とかと混ざってね???www』とか思ってたんですが考えれば即興(?)でこういう素敵な替え歌できるのって豊かなひとだよネ!と今になってほっこりしているへっぽこ占い師のしおるですこんばんは!!!←前置き長いわ!爆
ええと、今回のタイトル。
『かなしみは、素敵な原材料にもなる!』
ですが。
とーとつに。
あなたは、かなしみってなんのモトになると思いますか???
おいちゃんもこの質問をもらったときにですね、思春期まっさかり!(←)だったんで
・かなしみはなみだのモト
・ためいきのモト
・弱気や不安のモト
等々、ネガティブワードな答えしか出なかったんですが。
質問をくれたひとは、言いました。
かなしめるひとは、つよいひとなのよ
って。
当時の底が浅かったおいちゃん(今でもそんなにかわらんが・爆)は
はあ!?
弱いから悲しいってこととかに捕まっちゃうんでしょ!?
強さを持ってたら、悲しいことなんて起こらんでしょうが!!!
と、またまた目上の方に対する礼儀なっしんで(←)猛然と思いましたけれども(爆)
あのね、自分に対してでも、だれかに、なにかに対してでも。
かなしみを持てる
ってのは、やっぱ強いひとです。
なんでかって、かなしみっていうのは自分の内やだれかやなにかからもたらされた、できれば目を逸らしたいモノから発生するよね?
たとえばそれは、自分の失敗だったり。
その失敗から受けなくてはならなかった厳しい評価だったり。
こちらにはなーんの落ち度もないのに向けられた、理不尽な言動だったり。
まあいろいろあるけれど、こういうのを『怒り』に変換するひともいるよね?
自分が失敗したのは△△のせいだ!
自分は悪くないのに△△のせいで酷い評価をくらった!!!
なんで自分だけがこんなにつらいことを味あわされるんだ!!!
ってさ。
うん、この怒りに変換する、ってのも、おいちゃん的にはアリだと思います。
自分と、自分のたいせつなものが進む道を阻むようなモノにね、
こぉんのやろう、ふっざけんなあああああああ!!!!!!!
と怒りで以て立ち向かう!のもそれはそれで素敵。
んでも、やっぱりおいちゃんは。
根っこの部分、ヒトとしての根底で、かなしみを感じることができるひとは、つよいなあ、と。
素敵だなあ、と思うのです。
かなしみは、生きてく強さにつながるよ。
痛い!って感じることもあるんだけれども、『自分』を研磨してくれるのは、研ぎ澄まして磨いてくれるのは、喜びや楽しいことや嬉しい!って感じることももちろんそうなんだけれど。
自分の本質を、魂を、研ぎ澄ませてくれるモノは、ものすごく痛いかもしれないけれど、かなしみだよねえ、って今は思うのです。
わたしは占い師ってのを前面に出していますが、退魔士としても活動していて。
ときに、亡くなった方のスガタをミて、コエをキく、ってこともします。
んでねえ、アタマでは、『死』はすべて終わることと同義ではないし、想いを向けることによって鬼籍に入られた方に距離も時間も関係なくコンタクトできる!(場合もある)ってわかってはいるんだけれども。
それでもさ。
自分と同じ、この次元世界で生きて笑って話していたひとが亡くなる、ってのはさ。
これは、変わらないかなしみです。
越えられない、きっと越えてはいけないかなしみを、ずっとずっと持っています。
対面でのゲストさまに、故人のコトバを伝えるときも、実は必死で涙をこらえていたりします(苦笑)
これね~、わたしを指導してくれた歴代の方々にも
『冷静に、波だった感情をオモテに出さず、できれば内面も揺らさずに対応しなさい』
って何百万回(←)も言われていることなんですが。
・・・・ごめんなさい、まだまだおいちゃんは未熟者でス!!!
ゲストさまの前ではなんとか一応毅然と(?)した態度って心掛けてはいるけれど。
かなしいモンはかなしい!
しょうがないじゃん、この現実世界でこえをきけない、触れることもできないってふつーにかなしいもん!!!
こういう仕事をする者としては失格なのかもしらんが、もうこれってしょうがないじゃん!!!←逆ギレ・苦笑
それにねえ。
残されたひとは、たいせつなひとがいなくなってもさ。
日常を生きて行かなきゃならない。
ごはんを食べて、仕事に行ったり勉強したり、だれかと話したり眠ったり。
もう、亡くなった方とは会えないってことを無意識に、または有意識でも刻みながら。
生きていくんだよ。
そのかなしみを、きちんと持って生きているひとのドコが弱いのよ!?と過去の自分を小一時間問い詰めたい。。。
かなしみを抱きしめて、手放さないで生きているひとは、つよいひと。
そして、時間がかなしみをやわらかでやさしいものにしてくれたら、そのひとはもっとずっと強く素敵に輝くひとになる。
愛するひとが、側にいること。
言葉を交わしてケンカだってできること。
抱きしめられるぬくもりがあること。
ごはんを「おいしいね」って言いながら食べれること。
これって、奇跡なんだなあって。
当たり前のことって、当たり前なんかじゃないんだなあ、って気づけるひとは、素敵だよ。
んでもって、当たり前の奇跡、って慣れちゃうとほんとに『当たり前じゃん』ってさ、傲慢になっちゃうものだよ。
だから、いまのわたしは
かなしめるひとは、つよいひとなのよ
って教えてくれた、あのひとにこころから感謝する。
そんでもって、過去のおいちゃんってばなーんーて、アタマでっかちな上に小狡く表面だけの、上辺だけの完璧さみたいなモノに固執してたのかしら愚か者!って思います。
わたしも、いままでたくさんもらってきたひかりのたね、希望のたねを、誰かに手渡せているかなあ。
かなしみに沈むひとに、わたしがもらった手のぬくもり、芯からあっためたちょっと甘いブランデー入りホットミルクみたいなさ、そういう、なにかそういう寄り添うみたいなものを。
渡せているかなあ。。。
うん。
我に返って読み返してみたらばまったくもって一貫性がないネ!
いつもだネ!
いい加減ウザいね!!!←
強制終了~♪←
ここまで読んでくれた『あなた』に、こころからの感謝を。
ありがとう。
ありがとう。
感謝します、こころから。
ありがとう。
あいしているよ。