最もゆるせないモノ | フツーのタロット占い師のへなちょこ部屋

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タロットのことや日常織り交ぜたへなちょこブログです。



ぬっはイ、本日母の日で、旅行番組やグルメレポートとかでリポーターさんがご当地の美味しそうなカニをめらっと食べている場面を見るたび

いいなあああああああああ!!!

と言う愛すべき我が母に念願のカニさんを贈りましたらば喜んでくれたのでこちらもうれしいな♪という気分のへっぽこ占い師、しおるですこんばんは☆←長い!爆




ええとね。
本日、タイトルの感触でわかる方はわかってくれると思うのですが、ちょいと暗め&重めの記事になりそうなので

そういうのは読みたくないわ~

という方は華麗にブラウザバック!!!





















わたしも人間なので。
この世界で許せないこと、赦せないこと、許しちゃいけないこと等々ありますが。
そのなかで、『最も』ってつけるとしたら。

謂われない、理不尽な暴力

これはもうほんっとにダメ。ゆるせない。
ヒトの醜さが一番出る行為だと思います。

DV被害とかね、やっと最近周知されるようになってきましたが、それでも把握できているパーセンテージは氷山の一角と言われています。

んでもってねえ、わたしはフツーに異性愛者ですが、(まあ好きになれば同性の方でも恋愛対象になり得ますが)男性が、自分より肉体的には絶対弱い、女性に手をあげるとかね、こどもと言っていい年齢の守るべき者に手をあげるとかね、大っきらいです。

世の中にはきちんと成熟した、素敵な男性がいるということもわかっています。
そして、女性だって暴力をふるうってひとはいるのもわかってます。

そして、わたしは暴力的なひとは、男女問わずに嫌いです。いつもの表現だったら『好きではない』と書きますが、これは『嫌い!』と表記するくらいに嫌いです。

スポーツマンシップに則った競技や、礼節を重んじる武道はカッコイイと思うし素敵だけれど。

理不尽な暴力はほんっとにだいっきらい!!!!!

自分よりちいさな相手、弱い相手に拳を振り上げ、蹴りをかますようなニンゲンは最低。

そんな野蛮なモノでしか自分の意思を伝えられないの?
それならオマエはヒトでもニンゲンでもなく、ケダモノだね。
言葉を使って相手と意志を疎通することができず、自分のなかのルールで勝手にキレてその鬱屈を暴力・暴言でしか晴らせないのなら。

だれとも関わらず、口もきかず生きていけばいい。

その選択をしなくとも、年齢を重ねて今までのように身体も動かせなくなったら、今は振りかざしている暴力が振るえなくなったら。

オマエのそばにはだれも、なにも残らない。



・・・・一時期、『バタフライナイフ』を所持する若年層がニュースに多く取り上げられていた時期がありました。
覚えておられる方も多いかと思います。

ナイフを向けた者は、それをすぐにでも忘れることができる。
だが、向けられた者は、その恐怖と痛み、屈辱は一生忘れない。

一本のナイフ。
それは、どんな理由があろうとも『ひとにむけてはならないもの』だ。
ひとの生命と歴史を奪うもの、その重みをナイフに感じられないのならば所持する資格はない。
ひとの生命を奪ったのならば、おまえの一生は暗闇に閉ざされ、おまえを愛し、おまえが愛するひとたちをも暗闇に閉じ込めるだろう。

身体が大きく、力が強い者。そして、多少なりとも武道の心得や人間の急所等を知っている者は、その力が自分以外に脅威になると知れ。

おまえの拳は凶器に成り得るもの。

軽々しく振るってはならないものだということを知れ。

殴られた痛み、蹴られた痛み、技を受けたときの痛みを知らないのであれば、おまえはそれを他者にしてはならない。

大人も、こどもも、男も女も関係なく。
自分の生命を守る最終手段、その術として使う以外で軽々しくナイフを、拳を使うな。

なんのために、言葉がある?
言葉は心をつたえるためにある。
想いを伝えることは、眼差しやよりそうぬくもりで充分。
それを補うために、言葉と文字がある。

こころを、想いをつたえることができるのは、ひととしてのしあわせではないのか?

ひととして産まれてきたのならば。
あなたのこころが『ひと』であるのならば。

握りしめた拳を振り上げる前に。
指先に触れたナイフの感触を握り込む前に。

考えてほしい。


それは、コトバであらわせないモノですか。
傷つけることでしか、痛みを与えることでしかつたえられないことですか。
戦うことは、イコール暴力ではない、と理解できていますか。

ナイフをちらつかせ、暴力を肯定することでうしなわれるものを、知っていますか。



・・・・あ~あ。

ひとを全力で好きになること、愛すること。
うちの両親をみていると、それはわたしにとって決してしあわせなことだとは思えない。



だけど、あいしているよ。
だから、しんじているよ。

ひとは本来いとしいものだと。
愛のひかりを宿らせるいきものだと。

ほんとうは、しっているよ。

だからきっと、よけいにかなしいんだろうね。。。


ここまで読んでくれて、ありがとう。

ありがとう。
こころからの感謝を。

ありがとう。
ありがとう。

あいしているよ。