お兄ちゃんをお見送り | しおんの月

しおんの月

お月さんになりたいなぁ



何十年振りの臼杵市

弟と2人で新幹線に飛び乗って

向かったのは


母さんの弟の住んでる街だった


4月16日に母さんの妹から電話

「辛い事を聞かせるよ」


そう言って聞かされたのが

お兄ちゃんを蝕む

希少癌の話


4人兄弟の2番目に産まれた長男で

母さんの事が大好きで

私の事をいつも抱き締めてくれた人


叔父さんなんだけど

しわくちゃに笑う顔が

あどけなくて

私にとっては今でもお兄ちゃんで


遺品整理で出てきた

55年以上前の手紙の束の中に

何通もあったお兄ちゃんから

母さんに宛てた手紙



アルバムと手紙を私が持ち帰ったのは

お兄ちゃんやお姉ちゃんに

見てもらう為だったのに


4月19日10時前危篤との電話を受け

1時間半後には他界


それは母さんの命日の前の日だった


あまりにも早すぎる流れに

心が追い付かなくて

手紙の束と喪服

それと、母さんと父ちゃんの写真を

詰め込んで九州に向かった



沢山の笑顔の写真に囲まれて

それはそれは立派な祭壇に

あのしわくちゃな笑顔のお兄ちゃんが


去年の6月4日

父ちゃんと母さんの納骨に

皆で来てくれたのに


その時の同じ優しい笑顔の

お兄ちゃんが冷たく横たわってた


54歳の私は

どれほどの家族を見送らなきゃ

ならないんだろ


80歳、90歳まで生きれる時代に

愛する家族を何人も




母さんに会えたかな

早すぎて怒られたかもな

ばぁちゃんも、じいちゃんも

父ちゃんまで居るから

寂しくは無いかな


アルバム見せたかったよ

可愛い手紙読ませてあげたかった


愛してくれて

ありがとう


見送ったのにまだ

信じられないや