雪道ドライブ 信濃川大河津資料館(新潟県燕市) | シンカの進化

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2021年1月19日(火)、雪道ドライブ記事の続きです。

この日、日本海側は暴風雪の荒れた天候ではありましたが、

平日一日休みのため、厳しい天候の中、ドライブへ出掛けた僕。

最初の訪問地、新潟県見附市にある「道の駅パティオにいがた」を後にした僕は、

次に新潟県燕市(旧・西蒲原郡分水町)にある、

信濃川大河津資料館を訪ねました。

越後平野を流れる信濃川が、

河口以外で最も日本海に近づく場所に作られた大河津分水、

その枝分かれするところにあるのが「信濃川大河津資料館」です。

昔からある建物ですが、中はリニューアルされてきれいになっていました。

この日は日中の最高気温が氷点下であったため、

駐車場はガリガリに凍り、滑って転んでしまいそうなほどでした。
1階は「大河津分水の歴史と恩恵」と題された、資料展示ブースです。
大河津分水が通水する前の越後平野の様子も展示されていました。

その当時の越後平野は、水田は水かさが深く、船で移動していたそうです。

信濃川も多数氾濫したそうで、その度に衛生状態が悪くなり、

コレラやマラリアなどの伝染病が発生したそうです。

明治29(1896)年7月に発生した大洪水を「横田切れ」と呼び、

横田切れが契機となり、明治40(1907)年、大河津分水は本格的な工事を迎えることになります。

もし大河津分水がなかったら越後平野の各地はどうなるのか、というシミュレーションもありました。

2階は「川の技術と技術者」と題された資料展示ブースで、

1922(大正11)年に通水した大河津分水、

来年で通水100周年を迎えます。

2階は大河津分水を造る際の苦労の歴史が記されています。

工事は東洋一の国家プロジェクト大工事と呼ばれていたようです。
100m級の山を崩して水路を造ったようです。

土砂がたくさん出て、その土砂を運んだトロッコが展示されていました。
3階は蔵書ブースとなっており、川に関する本がたくさん置かれていました。

4階は展望ブースです。大河津分水が一望できます。
これは洗堰。信濃川本流の堰です。
奥にあるのが大河津分水の可動堰です。手前の川は、越後平野の用水路や船運を担っている西川につながる水路です。
こちらも西川につながる水路です。水鳥がたくさんいます。
大荒れの天候を撮影してみたのですが、画像ではよくわかりませんね。ホワイトアウトのようになっていました。
弥彦山です。雪雲に隠れています。
信濃川本流と大河津分水に分かれる前のところです。川幅が1kmにも及びます。大河津
時折青空が覗くのが、冬型の気圧配置の特徴です。筋状の雲が北から南に伸び、雲がかかる時は嵐、雲が切れる時は青空が見えます。
旧洗堰です。今は使われていません。史跡として公園となっています。
受付で堰カードをもらいました。「大河津可動堰」と「大河津洗堰」のカードです。
こちらは大河津分水の改良工事が行われた際に、回収されたコンクリートだそうです。

通水にちなんで、合格祈願の石として、無料で配られています。息子が大学受験中であるため、いただいてきました。100名先着だそうです。
大河津分水の近辺は、公園化されており、雪が解けて春になったら、散策に来てみたいと思いました。

旧洗堰の上は歩いて見学できるそうですし、新しい洗堰の魚道の観察室などもあるようです。

何より春は桜で有名な場所でもあります。

では!