昨日は高熱が出ていて、ほとんど喋れなかったお義母さまなので、
ちょっとドキドキしながら、観察室に入りました。
今日は熱は7度5分くらいじゃないかと思われます。
お義母さまはニコニコと機嫌よく、
犬のぬいぐるみを抱きながら、
旦那の話を聞き、
的確な会話をしてくれました。
「お母さん、
オレは甲斐性がなかったから、大きな家を建ててあげられなくてごめんな。」
「真面目に働いてくれてたら、そんでエエよ。」
「向こうに行ったら、○○さん(亡くなったお義父さん。お義母さまの夫。旦那の父親。)が待っとるけど、また一緒に過ごすんか?」
「そやねぇ、今さらねぇ。」
「そうか。
なら、寂しないな。」
「お母さん、ここ病院が遠いからな、俺らが来るまで待っとかなあかんで。
ぽっと逝ってもたらあかんで。」
「うん。そやね。」
と、
あちらの世界の話などもしておりました。
旦那はだいぶ、親を見送るということに、覚悟ができてきたようです。
ワタシは、
自分の母親に、
旦那みたいな話はできませんでした。
母は70歳だったから、
まだ生きたいと思っていたような気がします。
母の主治医は、
母に、
「平均寿命くらいまでは生きてください」と言っていたそうです。
肝臓に針を刺して、ガンが出来たところを焼き切る手術をするたびに。
ワタシたちがいた時間は40分ほどでしたが、
ワタシが見ていた間、オシッコはポタポタ落ちてはいませんでした。
お義母さまの尿量が減っているんじゃないかと思います。
明日は旦那が主治医と話をするそうです。
たぶん、今後の方針だと思います。
ワタシはそこまで突っ込んだことを、
お義母さまと話せる関係性の人間、
ではないのです。
けれど、
傍らにいられることは、
シンドイけれど、
有難いことなのかもしれません。
生まれる、
結婚する、
家族を持つ、
老いる、
親を見送る、
子供が結婚する、
孫が生まれる、
自分も亡くなる、
全てする必要はないけれど、
自分の意思だけで出来ることではないけれど、
ありがちな、
何万年と繰り返されてきた、
人の道、
だものね。