ヘルパーをしている友人に、私のこのモヤモヤを聞いてもらいたくてラインした。
ヘルパーをしている彼女は、
きっとたくさんの人の終末期を知っているはずだもの。
友人は、
「自分の意思を持てなくなってくる」
と表現してくれた。
そうなんだ、
それなんだよ。
「自分の意思を持てなくなってしまった人」を見守るのは、
なんだか凹むんだよ。
迷うんだよ。
本人の意思はどこにあるのか、探さなくてはならなくて、
私は嫁だから、
旦那(実子)が決めたことをするだけだけれど、
人として、
この人はどうしたいんだろう?
と考えてしまう。
できることなら、
気持ち良さそうな表情が見たい。
笑顔が見たい。
勝手なお願いだなぁ。
その自分の身勝手さに傷つく。
自分が辛そうな人を見たくないだけじゃないか。
臭いオムツを替えることになっても、たぶんイヤ、
ただ生きている状態を見るのもイヤ。
身勝手だよなぁ。
引き受ける。
その人がそこに存在することを引き受ける。
淡々と見守る。
そういうことができる人は、
強い人なのかもしれないなぁ。
お義母さまが回復したら、
また笑顔が見れる、
と素直に喜ぼう。
思わしくなくても、
淡々と引き受けよう。
大好きでもない姑に、
こんなに動揺するとは思わなかったな。
人の終末期というものは、
嫁であっても、
何かこう、
なんとも言えない不条理な思いをするのだな。
ややこしい親戚や、
相続のゴタゴタなどがなかったとしても。
(そのうえさらにゴタゴタしてたら、そら大変だわ。
葬式終わったら寝込むわw)
強い人になろうと思う。
旦那にもお義母さまにも、
そっと寄り添えますように。
友人が表現してくれたおかげで、
ワタシの気持ちはちょっと立ちなおった。
そしてブログを書くことで、
気持ちの整理をしているのだ。
たぶん、
たぶんね、
うまく伝わるかわからないけどね、
そこに命がある、
ってことを表現している寝たきりの人も、
すごくすごく、
尊いんだろうね。
そりゃ無理な延命は酷だけれど。
介護費用が、
とか、
あんなになってまで、
なんて思ってしまうワタシだけれど、
どうせ○んじゃうんだけれど、
(また言ってる悪りぃヤツ)
そこにある呼吸を、
体温を、
静かに見守れる、
引き受ける人になろうと思う。
って、
ワタシなんかまた、
自分に酔ってるんだろうなw
まあ普通にパートにいくわよ。
そして週末はお見舞いに行くわ。