避けられないこと | 奥歯にものは挟まずに

奥歯にものは挟まずに

認知症の義母をきっかけに、ふざけたブログを書き出して、
義母を見送りました。
イケてて笑える(笑われる)ババアを目指して、日々の暮らしを綴ります。

長いですよ。
今日は、お義母さまの様子を細々と。

アタシがお義母さま宅の最寄りの駅に着いて、お義母さまと電話が繋がった。
お義母さまは「お寺さんが来ているから、早く来てね」と言った。
アタシは到着してすぐ、仏間のご住職に挨拶した。
お義母さまはお布施の袋がないという。
半紙で包んでもいいんやけど、と言うので、アタシは二階にあがり、以前に見た、半紙を探した。
あった。
お義母さまの財布を開き、半紙で5000円を包んで渡した。
お義母さまはお盆にコップと1リットルの紙パックのジュースを乗せて、ご住職にお出ししてあった。
お客様には何かをお出しする、といった常識は、お義母さまはまだ忘れてはいない。
アタシは何かあったらこちらに連絡をくださいとご住職に耳打ちして、ご住職は帰っていった。

寝ていたところにご住職がやって来たのだな。
ご住職が帰ってから、自分でテーブルに置きっぱなしにしているブラシで髪の毛を梳かしたお義母さま。
うん、これで佐久間良子復活やねw

床が汚れている。
チビめ、また何か食べこぼして、お義母さまが踏みつけて、ニトニトにしたな。
アタシはお義母さまとオハナシしながら、右手のナイロンタワシでこすり、左手の雑巾で拭いた。
ふと見ると壁には蜘蛛の巣とほこりが。
食器棚の裏は、ホコリがこげ茶になって綿菓子みたいになっている。
クイックルワイパーで、壁を払い、食器棚の裏に突っ込んで掃除した。
トイレの便座カバーもそろそろ洗うか。
ええーい、ズズ黒くなったタオルなどと一緒に洗ってしまえ。
この間にも、チビがあちこちにオシッコをかけている。
かーっ。
イタチごっこやわ。
バカ犬め。
今日はお掃除デーだ。

あ、おしゃべりするお義母さまの口調がへんだ。
…これは失語だ。
アタシは掃除をやめて、
お義母さまの横へ行き、手足をさすり、背中を撫でた。
撫でたって治るワケではない。
でもアタシにできることは、
いつも一緒にはいられないけれど、
あなたを思っていますよ、
と、
態度で示すことだけだ。
まだお義母さまは、自分の言葉が出にくいことに、気がついていない。
素直にアタシに撫でさすられている。

時間的に、そろそろ買い物に行かねば。
チビを連れて散歩がてらに買い物に。
歩きながら、スーパーを物色しながら、アタシは切なかった。
こうやってお義母さまは、だんだんと話せなくなってしまうのかなぁ。
今までも何度かあったけれど、
またすぐ喋るようになったのだけれど。
お寿司とお布施を入れる封筒と、アメやチョコレートをたくさん買って帰った。

お義母さまと、
買ってきたお寿司と、アサリの味噌汁とおでん(ヘルパーさん作。アタシは遠慮して少しだけ戴いた。自分で調理出来なくなったお義母さまのための、大切な食べ物だもの。)を食べながらおしゃべりする。
お義母さまも自分が言葉が出にくくなっていることに気付く。
でもそろそろ帰らねば。

「なんか言葉が出にくいねん。
ああん。
えへん。」
と言うお義母さまの背中をさすりながら、
大丈夫だからね。
明日になったらまたGさん(明日訪問するはずのヘルパーさん)が来るから。
何か困ったら、Gさんでも、隣近所の人でもいいから、
助けて、と言ってね。
アタシに連絡があるようにしてあるから。
と伝えて帰った。

アタシは帰宅するなり、
ケアマネに連絡した。
先日の、玄関横までゴミを取りに来てくれる市のサービスのことと、
失語についてのことを伝えた。
本当に困ったら、失語が進むようであれば、また次の段階のことを考えましょう、
と電話を切った。

サ責にも、
ゴミのことと、
(生ゴミは全て持って帰らず、たまに玄関横に出していただきたいこと。
んじゃないと役所がまた心配するだろう。)
失語のことをお願いした。
言葉が出にくい状態が続くようなら、
このまま一人暮らしをさせておくワケにはいかない。
3人のヘルパーさんがいるから、お義母さまの生活は、3人みな理解しているワケではないだろうが、
異変があったらアタシに教えてほしいと伝えて、電話を切った。

旦那が帰宅した。
アタシはお義母さまの様子を旦那に説明した。
失語、は、旦那もさみしそうだった。

旦那と息子とアタシとで晩ゴハンを食べていたら、お義母さまから電話だ。
アタシが出た。
お義母さまは、二階に、孫娘か、孫息子が寝ているような気がするんだ、不思議だ、と、
たどたどしく話す。
幻覚、作話はとりあえず良いとして、
まだ失語だ。
心細いのかな。
一通り聞いて、まず息子に電話を代わった。
それから旦那が代わった。
旦那と話しているうちに、
だんだんとお義母さまの失語は治まってきたようだ。
旦那は笑いながら話している。
「アナタ俺と話すことで、だいぶ言葉が出るようになってきたやんw」
旦那は、たぶん、笑うことで、自分の悲しい気持ちを奮い立たせている。
「お母さん、しゃべらなあかんで。
俺もこれから時々電話するわな。」

最後にアタシが代わって、
お義母さまの口調を確認した。
かなり普段どうりに戻っていた。
3人がかりで30分ほど話して、
「まだ寒いから、あったかくして寝るんやで」と、電話は終わった。



お義母さまの失語が進むようであれば、ヘルパー利用をもっと増やす、
アタシも毎日電話する、
監視カメラの設置、
デイサービス利用、
グループホーム入所など、
また次の手を打たなければならないだろう。

変わらずにはいられないのはわかっているつもりだ。
けれどアタシはただたださみしい気持ちになる。

誰だってそうだが、
ここに、
確かに、
老いて死にゆく人がいる。
人は、
死に向かって生きているんだよな。

喋れて、歩けて、自分でご飯が食べられて、排泄できて。
当たり前だと思っていることが、
実はありがたいことなのだと、
なんて重たい感謝を突きつけてくるんだろう、神様は。
お義母さまは、自分の気持ち、出来事を伝えられずに、何年生きていくのだろう。
そうならないかもしれないけれど。

アタシがそれを「かわいそう」と感じるのは、不遜だろうか。
暗い未来を想像して、ため息が出た。


次の日の朝、
アタシが電話すると、
お義母さまの口調は元に戻っていた。


同居の介護は、
たぶん毎日が戦場だ。
撃たれ、吹き飛ばされる。

別居の見守り介護は、
たぶんお化け屋敷だ。
「必ず何か出る」とわかっていながら、ビクビクと前に進む。