お義母さまの食材を買いこんであげるのだ。
毎日電話もしていた。
お義母さまは電動自転車で、ちょっと離れたスーパーまで出かけたり、まだまだ元気だった。
お義父さんが1月に亡くなり、初盆がやってきた。
お義母さま宅にアタシたち一家四人と、お義姉さんが来ていた。
お義母さまはキッチンに立ち、窓から向かいの家を見ていた。
向かいは、お隣のHさんの、息子さん夫婦の家だ。
向かいの家には、透明な屋根の駐車場があった。
薄い茶色の透明な屋根の下に、こげ茶色の、花柄のコタツ掛けが干してあった。
お義母さまはそれを見て、いまいましげに言った。
「うわ、何なん?汚らしい。
これからお寺さんが来はるのに。
イヤやわ。」
アタシは、
自分の家の敷地に、何を干そうとかまわないではないか、
あいかわらず変なことを言う人だ。と思った。
お義母さまはお隣のHさんに敵対心を持っていた。
お義父さんがまだ生きている頃も、
隣のおっさんが、ウチの側溝に落ち葉を詰め込んでくる、嫌がらせをするのだ、
と言っていたし、
ゴミ収集所の問題で、地域の話し合いがあった時、この向かいのHさんの息子に、「ババアは黙っとれ。」と言われたんだと怒っていた。
隣のおばあちゃんが亡くなった時、ウチを控え室がわりに提供したのに、
お父さん(お義父さんのこと)の葬式にも来ない、イヤな隣のヤツだ、
と、いつも憤慨していた。
(実際は、Hさんはお葬式に来てくれていました。)
…今から考えると、お義母さまはもともとクソババア気質を持っていたけれど、
被害妄想もあって、オーバーにお隣を嫌っていたのではないかと思う。
アタシはそういった話を聞くたびに、
隣近所と仲良くできないなんて、なんだかイヤな人だ、と、お義母さまのことを思っていた。
初盆のあとも、向かいの若夫婦のことをdisっていましたわ。
子供の躾がなってない、
ウチの犬が吠えるのを、子供が、うるさい!と叫ぶのだ、なんて嫌な子供だ、
犬が鳴くより、向かいの車のドアの開け閉めの、バタンという音のほうがうるさいわ。
小学校に、苦情を入れてやろうか。
はぁ、そーでっか。
アタシは当時から、ああそーなのね、程度に話は聞いていた。
反論したりすると、面倒だからねぇ。
まあ、当時、お義母さまがどの程度思ったことを口にしていたかはわかりませんが、
人のいい、優しいおばあちゃんでなかったことだけは確かです。