昨日も村上作品の悪口を書いた
過去にも結構書いている
世界が認めているのに抗うね
安部公房が言うには「書くためには書く必然性が必要」だ
そういう意味で村上作品がわからない
『ノルウェイの森』の森では何故最後レイコさんとセックスしなきゃいけないのか、エトセトラ、エトセトラ
村上春樹 『ノルウェイの森』 | 脳の中の湖 (ameblo.jp)
大江健三郎は『個人的な体験』で主人公が立ち直った後の描写は不要だと批判された
大江健三郎 『個人的な体験』 1 | 脳の中の湖 (ameblo.jp)
大江健三郎 『個人的な体験』 2 | 脳の中の湖 (ameblo.jp)
私にはその批評の方が受け入れやすいが、文学は変化したのであろうか?
私が村上春樹以外に批判的に書いたのは、
有島武郎の『生れ出づる悩み』をなんで二人称の視座で書いたのかと
有島武郎 『生れ出づる悩み』 | 脳の中の湖 (ameblo.jp)
伊藤左千夫の『野菊の墓』が文章下手だって書いたくらいだったと思う
伊藤左千夫 『野菊の墓』 | 脳の中の湖 (ameblo.jp)
あとは褒めてるつもり