私めちゃめちゃ弱い人でした(^ ^)
今もだけど笑笑
つねにオロオロ。オドオド。
誰かに見られることに
いつも怯えてた。
学生時代なら実習の授業とか
社会に出てからなら仕事でも、
聞きたいことが聞けなかったり、
それで勝手にやって失敗したり、
まじで「使えない奴」だった笑笑
コソコソしていたいのに
「ダメな奴」として
目立っちゃうという笑笑
好きな仕事は
失敗しながらも成長していったけど、
やりたくもない仕事は
ことごとく無理だった。
そういうの器用にできる人が
とても羨ましかったです。
頭の回転が速いとか。
きれいにできる。うまくできるとか。
できない自分を「病気」のせいにしてました。
ていうか私は人生すべてが「病気のせい」。
「これさえなければ。」
きっと脱毛症でなければ
もっと楽しいことが好きで、
もっとやりたいことに飛び込めて
もっとたくさんの人と交流してた。
もっと目立つのがすきだった(^_^)
脱毛症というだけで諦めたことが
沢山あります。
「いつかバレたらどうしよう。」
という思いがいつもあったから、
バレないような生き方を選んでた。
影の生き方。目立たないように。
自分を抑えて、少しでも前に出てしまったら
すぐに引っ込んで。
目立ちたいけど前に出たくないっていう
めんどい奴
大学生の頃、
舞台を作る側の裏方の勉強をしてました。
舞台照明のスタッフの勉強。
でも、
本当の本心は、
私たぶん舞台に立つ側になりたかった。
高校の頃は吹奏楽部でした。
でも本当はダンスしたり、
思いっきり体を使ってパフォーマンスすることをしてみたかった。
小学校の頃は、
自分が脱毛症って知らなかったから
1番、自分の体を謳歌してて笑、
ソーラン節をやってたんだけど、
練習大変だったけど
踊ることが
本当に楽しかった記憶がある。
(↑その頃の写真(^ ^))
もちろん、
舞台照明も吹奏楽も
本当に楽しかったし
あそこでしか見れない景色があって、
経験できてよかったって
心から感謝できる経験なんだけど。
その時を否定しているわけではなくて。
これって、
過去は変えられないし
過去を否定するみたいで
なんとなく自分でも
考えないようにしていたことなんだけど、
自分の心に
本当に本当に正直になって
「もし、脱毛症じゃなくて、
髪の心配もなーんにもないとしたら、
何がしたかった?」
って自分の心に正直に聞いてみたら、
本当はスポットライトを浴びる側で
体をいっぱい使って
表現する(楽しむ)ことを
やってみたかった。って答えた。
無意識のうちに
「これはできない」って全身に染み付いていた
考えがあったから、
「本当はやりたいこと」を除いた
選択肢の中から選んでたんだなって
自分に正直になったら気づいたよ。
生まれ変わったら踊りをもう一回やりたい。
人生やり直せるならバンド組みたい(^ ^)
チアやりたい(^ ^)
お姉ちゃんが長い間
チアリーディングをやってて、
いつも大会や応援に行ったり
写真を見るたびに、
思いっきり自分をアピールしたり
思いっきり体を使ったり挑発したり
キラキラ輝く姿が羨ましく思ってました。
いーなー。くらいの感じだったけど。
「私はできないこと」って
それが当たり前だったから
それはそれで応援側を謳歌してたけどね📣
「応援する側がいい」
「支える側が好き」
「裏方をしたい」
って思ってたけど、
私の魂が求めていることは、
もっと自分のこの体を思いっきり使って
人生を楽しみたい!
でした。(^ ^)
ずっと(^ ^)笑
もしこの願いを諦めたら
たぶんいつまでも心のどこかで
過去を後悔して、
むしろ本当の気持ちに蓋をして
気付かないふりを続けたり、
「私は脱毛症だから」っていう
気持ちを握りしめて、
人に嫉妬したり批判したりしながら、
それでも幸せな人生を送っていくんじゃないかと思う。
もしこの願いを今の自分が叶えてあげたら
倍で夢が叶うってことになる
裏の役割を謳歌してた過去の自分と
表の役割を謳歌する自分
結局、私は、
どっちも経験したかったんだ(^ ^)
だから本当に人生は
どっちかでなければならない。
なんてことはなくて、
魂はすべてを体験したいと願ってる。
うまくいくことだけではなくて、
やりたいことを、
「やる!」「やってる!」
っていう“ 体験 ”が 魂のゴール
自分がやりたいことを
やりたい時にできる能力。
それが人間の
真の「豊かさ」だと学んだよ。
だからこうやって自分の想いを
開示することはすでに
自分の夢(願い)を叶えてあげていることの
ひとつである(^ ^)
これから
叶えられなかった夢を
どうにかして叶えてゆこうと思う