年内に総選挙があるとかないとか。
与党は票獲得のため、唐突に「減税」という言葉を使いだした模様。
しかしよく見ると、「昔からの仲良しこよしの大企業」を優遇する「減税」であり、庶民にはその恩恵は回ってこない様相。
消費減税の声があがるも、これまた単なるパフォーマンスとの見方が濃厚。
どこを見て、誰のために政治を行っているのか。
組織票のための政治。
自分たちの当選のための政治。
庶民の生活をどうとらえているのか。
現実が見えていないのか。
庶民との距離、そして「現実との距離」を感じる。
中3英語の最後の文法事項は「仮定法」である。
仮定法では
I wish I were a bird.「私が鳥だったらいいのに」
のように過去形が使われる。
過去のことではないのに、なぜ過去形が使われるのか。
それは、「過去形」はそもそも「時間的な距離」だけでなく「現実との距離」も表すからである。
現実とは異なる願望、実現しないような願望を表すのが仮定法である。
だから「現実との距離」を表す過去形が使われるのである。
ではなぜwasではなく、wereなのか。
これは「古い英語の名残り」。
昔はwasがなく、どんな主語でもwereだったそうだ。
仮定法で「現実との距離」を表す過去形が使われようが、「古い英語の名残り」が使われようが、そういう文化には何の憤りも感じない。
しかし、「現実との距離」がはなはだしい政治、「昔からの仲良しこよしの大企業」にしがみつく政治には憤りを感じる。
次の総選挙では、そんな憤りをおさめるために、みなが投票に行かなければならない。
組織票に打ち勝つには、庶民の投票でしかない。
どうせダメだからでは、またダメになってしまう。
I wish Japanese politics were better.
これが「仮定法」ではなく、現実にならなければならないのだ。
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ブンタ「ネコ用の座椅子があればいいのに」
レンヤ「ネコ用のテレビ番組があればいいのに」
モンテ「オイラは特に願望はないぞ」