「新安城スクール」塾の日々→塾後の日々

 

3月に朝ドラ「ばけばけ」が終わった。

 

小泉八雲(ラフカディオハーン)とその妻の物語だった。

 

仲睦まじい夫婦の日々をコミカルに描く秀逸なドラマで、毎日楽しませてもらった。

 

「日本滞在記」などの作品はアメリカでベストセラーになったが、だんだん題材に苦慮するようになる。

 

そこで書いたのが「怪談」(kwaidan)だった。

 

しかし「怪談」はアメリカでは不評で、小泉八雲は失意のままこの世を去ってしまう。

 

妻も「怪談」を書かせたのは自分のせいだと悩んでしまう。

 

それでもまわりの人々の励ましを得て、夫との楽しかった思い出を記すのだった。

 

二人の死後、「怪談」はベストセラーになり、二人はあの世で喜んでいたであろう。

 

という物語だった。

 

 

 

その「怪談」を私は高校生の時、英語の授業で読んだ。

 

「ojochu」お女中、「yonakisoba」夜泣きそばなどという言葉が出てきたのを覚えている。

 

そんなこともあって、「ばけばけ」はいっそう思いを込めて見ていた。

 

 

 

4月から始まった「風、薫る」は明治時代に看護の道を開いた二人の女性の物語である。

 

そのうちの一人の父は家老まで務めた武士だったが、明治維新を機にさっさと武士をやめ、家族で農業をして暮らしていた。

 

その父は武士ではなくなったが、学問の大切さを娘に説くのであった。

 

学問は身を守る鎧となり、ときには武器にもなる。

 

本当は女学校に入れてやりたかったが、それがかなわない今、父自らが娘に学問を施すのだった。

 

 

 

このシーンを見て私は、はたと気づかされた。

 

ああ、学ぶとはこういうことだ。

 

自分もそうだったから偉そうなことは言えないが、多くの人が学ぶ理由は受験である。

 

志望校に受かるために勉強する。

 

別に悪いとは言わないが、それだけが勉強する理由ではないだろう。

 

塾をやっていた頃、たいしたところを受験するわけではないから勉強する意味がないという親御さんがいた。

 

本当に意味がないのか。

 

知るべきことを知らないまま大人になっていいのか。

 

受験のためだけではなく、身につけておくべき知識があるのではないか。

 

朝ドラの言うとおり、学問は身を守ったり、ときには一矢報いることがあったりするのではないか。

 

しばらく教育現場を離れていたが、塾をやっていた頃のように何か熱いものが心に宿った。

 

 

 

話は変わるが、身を守ると言えば、年を取った今、何をもって身を守ればいいのか。

 

ボケないためにはやはり、頭を使うことではないか。

 

漢字と高校数学を勉強しなおすという自分への課題を再開しようと思う。

 

以前にブログに書いたが、冬の間怠けていた。

 

寒くて図書館に行く気にならなかったからだ。

 

車で行けばいい、いやいや長時間になると駐車代がかかる。

 

家でやればいい、いやいや集中するには図書館でしょ。

 

 

 

さて、冗談はこの辺にして、本当に年を取ったら大切なものは何か。

 

健康?確かに。

 

では健康を維持するために必要なものは何か。

 

それは、骨と筋肉。

 

そう、自分の脚で歩くこと。

 

これができなくなったら、不健康の道に片足つっこんでしまう。

 

 

 

そして次に大切なものは何か。

 

急に現実的になるが、それはお金。

 

まあ、これがなければ生きていけないし。

 

贅沢せず、普通に生きていくだけのお金はほしいものだ。

 

 

 

最後に年を取って最も大切なものは何か。

 

それは、友達。

 

誰かと話すことはお互いに刺激になり、ボケ防止に一番いい。

 

骨や筋肉やお金は自分一人でもなんとかなるが、友達だけはなんともならない。

 

年を取ってから新しい友達をつくれないわけではないが、そう簡単なものではない。

 

また、気心が知れているのはやはり古い友達だろう。

 

幸いなことに、私の高校時代の友達は今なお遊んでくれる。

 

 

ソフトボールをやったり、花見BBQ・忘年会などで痛飲したり、先日は私の妻のバースディパーティーをやってくれた。

 

私と妻は高校の同級生なので、友達が共通なのだ。

 

年を取って最も大切なものである友達に恵まれていることは、幸せなことである。

 

人生の下り坂であることに間違いのない今、骨と筋肉とお金と友達を大切にしつつ、毎日笑って過ごしたいものだ。